父の先見
日本のサブカルチャー
TBSブリタニカ 1986
Ian Buruma
A Japanese Mirror
[訳]山本喜久男
なぜ山口百恵が三浦友和の世話をするためにスターの座を捨てたことを、日本の女性週刊誌は一斉に称賛するのか。なぜ谷崎潤一郎は母に対する思慕を裏返してナオミを偏愛し瘋癲老人を描いたのか。なぜ日本のラブシーンは「濡れ場」とよばれるのか。
まだ、ある。ノーパン喫茶のクライマックスがなぜウェイトレスが着けていたパンティの競売になりうるのか。オスカルとアンドレが天国に行って結ばれることがなぜ宝塚やそのファンにとって必要なのか。
まだ、言いたりない。少女マンガの日本人の主人公はなぜわざわざ茶色や亜麻色の流れるような髪になるのか。篠田正浩は高校球児にとって甲子園が聖地であることをなぜあんなに強調するのか。鈴木清順は《けんかえれじい》にどうして北一輝を出す必要があるのか。デラックス東寺(京都)のストリッパーは踊っているときはすました無表情なのに、“特出し”のときになってなぜ急にお母さんのように微笑するのか。高倉健と鶴田浩二はなぜギリギリまで我慢するのか――。
一読、こんなふうにあけすけに日本の大衆文化像を見た書き手がかつていただろうかと思った。のちのちドナルド・リチーの弟子筋だったと知って「さもありなん」と納得したが、今度ざっと読み返して、著者が提起した謎かけはいまだ日本人からの返答がないままだということに気がついた。あまりに素頓狂で配慮のない「疑い」だからだろうが、その後の日本でちっとも回答が得られていないことばかりなのだ。
イアン・ビュルマ(ブルマとも表記)がこの本でとりあつかったのは、昭和日本の大衆やマスメディアや表現者が祭り上げたヒーローやヒロインである。ガイジンにとっては目をそむけたくなるような、あるいは一部の日本人にはどうしてそんなことで日本を議論できるのかというような、そんなアイテムとアイコンばかりである。
日本語版の序文と「まえがき」で、日本のサブカルチャーが説明すべきことについての本書の意図が述べられている。
第一に、著者は日本が大好きなのだが、納得できないことも少なくない。その理由を学者やメディアに求めてもなかなか得られない。なぜなのか。そこを考えてみたかった。第二に、そうなっているのは日本の「高尚な文化」に対する説明と「低俗な文化」に対する説明とが示し合わせたかのように分断しているからだろうと思った。そこで第三に、著者自身が見聞した大衆文化に関する興味と疑問をそこそこに列挙してみた。
しかし第四に、日本人は自分たちが溺れているかもしれない大衆文化はガイジンに理解されなくたっていいと思っているようなので、そこを突破するには日本人が好む英雄と悪役を虚像とみなさず、日本人が以前から培ってきたであろう神話性や選好性にもとづいて考えてみることにした。かくして第五に、欧米諸国のガイジンが培ってきた「想像力の産物」と、日本人が好んできた「想像上の英雄と悪役」には何か大きな違いがあるのだと思わざるをえないという結論を得た。
こうして本書が綴られたのだが、書きすすむうちに「あること」を日本人に問い返す必要があることを痛感したようだ。それは端的に言えば、「日本人のやさしさ」と「日本人の暴力性と色情性」とを重ねあわせられる何らかの説明を、日本人はもっているのだろうかということだった。
高校球児が涙ながらに甲子園の砂を小さな袋につめて持ち帰る姿と、キャンディーズや山口百恵が「フツーの女の子」に戻る姿に喝采をおくることと、ノーパンしゃぶしゃぶで茶髪の女子のお尻に触り、大学生がコンパでイッキ飲みをして女子学生を“落とす”ことは、別々なのだ(そのはずだ)。いいかえれば、日本人の行動規範の多くは、大衆的な遊びのなかでは何ひとつ守られていないし、生かされてもいないけれど、それでよろしいのかという問い返しだ。ようするに日本のサブカルチャーにはほとんどの説明可能な道徳もそれをくつがえす反道徳の哲学もないのだとしたら、日本人は快楽と暴力をよそおうことでしか日本的なペシミズムを回避できないということになるが、それでもいいんですね、ということである。
イアン・ビュルマはこんなことを推理する。日本神話においては、スサノオは絶対的な悪神ではない。風によって木がなぎ倒されるように、他に迷惑をかけるから悪い神だとみなされているにすぎない。親鸞は「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」と言った。こうした例を見ていくと、日本人の思考には絶対的な悪は存在しないように思える。ケガレを恐れているだけとも思える。
ひょっとして日本人が「悪」と「ケガレ」を混同しているかもしれないという指摘に続いて、著者はスサノオが「ミソギ」(禊)をする理由の説明に移って、日本人は「悪」と「ケガレ」を一緒くたに水に流せるという原状回復力に可能性を見いだし、さらにはいったん出雲(根の国)に放逐されたスサノオがヤマタノオロチなどを退治して、美女を獲得する英雄として蘇生するという復活可能性に拍手をおくれるようにしたことに注目する。なぜこんなふうな展開を選んだのか。
こうした物語の類型はギリシア・ローマ神話やオセアニア神話にもあるけれど、日本ではそれが「罪」や「罰」として継承されるよりも、新たな変容や変身の物語になることが多い。著者はそこに日本人の判官贔屓、「忠臣蔵好き」、西鶴の好色一代男の遍歴礼讃などに共通するモードを読みとり、それが谷崎潤一郎の痴女の観音化や今村昌平の《にっぽん昆虫記》の好色礼讃につながりうることを発見する。ついで、これらが日本の大衆メディア文化の、女性週刊誌や少女マンガに至ったイメージの系譜を追い、ここには「変容肯定主義」とでもいうものがあるのではないかと推断した。
そして、これらのことはドイツ文学者の種村季弘が言うところの「日本的な浄化の儀式」でもあったことに、多少納得するのだ。
本書のイギリス版の原題は『日本の鏡』で、アメリカ版は『仮面の裏』だった。それが日本語版で『日本のサブカルチャー』になった。版元と訳者の意向だろうが、いわゆるサブカル論ではない。映画についての言及は多いけれど、マンガ、ファッション、商品、Jポップ、学習塾、サブカル小説などは、ほとんどとりあつかっていない。
しかし、昭和日本の大衆文化のかなり奇妙な一面を浮上させるには、そこそこの説得力をもっていた。日本人が好んだイメージ・セオリーに「変容肯定主義」の傾向が強いという観察も、けっこう当たっていた。たしかに日本には「かわる」(変)と「わかる」(判)という傾向があるからだ。
イアンは一九五一年にオランダのハーグに生まれ、ライデン大学で中国語と日本語と日中の歴史を専攻した。在学中にアムステルダムで公演した寺山修司の天井棧敷を見て衝撃をうけ、さっそく日本に来て日大の芸術学部で日本映画を学んだ。小津安にもクロサワにも鈴木清順にも詳しいのはそのせいだ。
その後はジャーナリストとして東京・ニューヨーク・香港に滞在し、二〇〇三年からはアメリカに行って大学教授となり、何冊もの本を書いた。翻訳されているものは少ないが(二〇〇〇年現在)、『戦争の記憶―日本人とドイツ人』(ちくま学芸文庫)は仲正昌樹の『日本とドイツ―二つの戦後思想』(光文社新書)とともにいまや日本人の必読書だろうし、オリエンタリズムならぬオクシデンタリズムの虚を突いた『反西洋思想』(新潮新書)は、『近代日本の誕生』(ランダムハウス講談社)と交差して、読ませた。
この本は英語で書かれた。欧米社会ではかなりの反響があったらしい。だいたいの批評が「これまで触れにくかった日本をよくぞ巧みに描きだした」というものだったようだ。ただし、ぼくは、フィリップ・ウインザーの書評に出ていた次の一節のほうに感服した。
「フロイトが日本で生まれていたら、自分の仕事をやめただろう。というのも、日本には父権的な宗教や、その派生物である西洋の道徳的な伝統がないのにもかかわらず、日本人は西洋と同じように多くのエディプス・コンプレックスをつくりだして、働くときや遊ぶときの特性としているからだ」。