才事記

アジア音楽史

柘植元一・植村幸生編

音楽之友社 1996

 日本には西洋音楽史がすらすら浮かぶ者はたくさんいるのに、東洋音楽史や日本音楽史を会話の中にはさむ者はめっぽう少ない。
 いまさら目くじらをたてたところでせんかたないが、困ったことである。だいたい東洋音楽や日本音楽を教えられる者がごくわずかなのだし、そんな授業もないのだから、誰もそんなことに関心をもてなくなってしまうのは当然だった。

 田辺尚雄が東洋音楽を論じたのは、昭和初期にまでさかのぼる。東洋音楽学会というものも1936年に設立されている。
 その後も岸辺成雄のシルクロードを歴史的にたどった音楽史や楽器史や林謙三の東洋楽器論があったが、小泉文夫が世界の民族音楽の研究を一般化するまでは、ほとんどアジア音楽を語る者はいなかった。
 ぼくは幸運にも杉浦康平の浩翰な民族音楽趣味の近くにいたため、それを通して小泉文夫と出会えて、多少は青年時代にアジア音楽にめぐりあえた。とくに杉浦さんが録音していた厖大な民族音楽のテープと、小泉さんが自宅の一室でさまざまな民族楽器に囲まれながら遊ぶように語ってくれる音楽談義が“ゆりかごの歌”になった。

 東洋音楽の議論がながいあいだにわたって盛り上がらなかったのは、かつて兼常清佐が「日本音楽史は成立しない」と言ったことに端的に示されているように、楽譜がないことを問題にしすぎてきたからだった。
 しかし、それは西洋的な楽譜がないだけのことで、読む気になればいくらも東洋的な楽譜はあったのである。いや、それは西洋的な意味での“楽譜”というものではなくて、むしろ人間の本来の記譜能力にもとづいたインター・ノーテーションだった。音楽家や音楽研究者たちは、それを読むのが面倒なだけだったのである。ぼくなどは、そのようなインター・ノーテーションのほうが五線譜などよりずっとおもしろい。
 さらに別のことで言うのなら、アジアの中ではいまでもどこでも実際のアジア音楽が生きているのである。それをナマで体験すれば、楽譜など必要もなかったし、仮に楽譜にしたければ、それは研究者や音楽家がやってみればよかったはずだった。

 もうひとつ、日本において東洋音楽の議論が盛んになれなかった理由がある。
 それは、戦後に“大東亜戦争批判”の嵐が吹きまくったことだ。昭和前期の日本が「五族協和」をうたってアジアを蹂躙した記憶を拭いたかったからだった。
 これは致し方ないといえば、致し方がない。しかも戦時中は、早坂文雄のような天才が東洋主義に走ったことが“利用”されて、かれらの音楽がながいあいだ葬り去られていた。早坂文雄がやっと脚光を浴びたのは、黒沢明が早坂を映画音楽の作曲者として起用してからのことである。
 ぼくも、秋山邦晴に頼まれたサントリー音楽財団の仕事で、早坂文雄の散逸した“楽譜”を集め、これに解説や評伝を加えて一冊にまとめるという作業にかかわってみて、日本がいかに日本を忘れてきたかということに初めて気がついた。

 本書はとくにすぐれた本ではない。ただし、アジア音楽史を通観できるものがないので、この本を推しておくことにした。
 全体は共著形式になっていて、総論にもとづいて東アジア、東南アジア、南アジア、西アジア、中央アジア、日本が分担されている。年表もついているのだが、地域別に分断されているのがつまらない。

参考¶いまは音楽之社の「東洋音楽選書」があって助かる。古くは、田辺尚雄『東洋音楽論』1929(春秋社)、田辺尚雄『東洋音楽史』1940(雄山閣)、岸辺成雄『東洋の楽器とその歴史』1948(弘文堂)、林謙三『東アジア楽器考』1973(カワイ楽譜)、吉川英史『日本音楽の歴史』1965(創元社)など。やはり小泉文夫の本から入られるのがいいと思う。