父の先見
日本・現代・美術
新潮社 1998
ぼくの結婚式の仲人は中村宏である。10人たらずの結婚式を目黒の大鳥神社であげた。そのまま京都の稲垣足穂の家に行った。そのときも中村宏夫妻が同行した。中村宏はそのような新婚旅行は前代未聞だと言って、半分笑い、半分は気の毒そうな顔をしていた。
中村宏を知る人は少ないだろうが、前衛美術会を主宰し(いまゼンエイビジュツカイとワープロを打ったら、全英美術界と出た)、山下菊二やタイガー立石とともに「タブロオは自己批判しない」という有名な主張をした油彩画家である(今度はジコヒハンと打ったら事故批判と出た)。当時は機関車とセーラー服ばかりを描いていたが、その後はルネサンスの空気遠近法と20世紀科学のローレンツ短縮の理論などを援用して、しだいに動力学の相対化や加速度的な風景の瞬間などを描いている。
ぼくが日本の現代美術を最初に見ていた窓は、この中村宏の周辺からはじまっている。近くに中西夏之、赤瀬川原平、池田龍雄、河原温、中原祐介、そして山下菊二たちがいた。1960年代の後半のことである。タイガー立石とはそのころは会わなかったが、その後、イタリアに行ったままの立石と連絡をとりあって、彼の画集や作品集を手伝った。
そのころの"前衛"たちの印象には、さすがにいろいろおもしろいものがあるが、ひとつだけ書いておくと、山下菊二に誘われて家へ遊びに行って驚いた。十羽に近いフロクウが小さな部屋にバタバタと飛び交っているのである。山下夫人が、どんな小さなユニットバスの洗面台よりも小さな、フロクウの糞がたくさんこびりついている洗面台の鏡で、さっと化粧をしていた光景が忘れられない。
その後の現代美術のアーティストとのつきあいは、あまりない。朝倉摂や河原温や横尾忠則をべつとすると、高山登や原口典之の世代といっときよく話しこんだ程度である。
日本の現代美術について、これという一冊がないことは、美術界からも読書界からもずっと指摘されていた。もっともそれで誰が困るというものでもなかった。
本書も、日本の現代美術についてまとめた通史であるわけではない。著者にはもともとそんなことをする意図はないし、その必要も感じていない。本書の標題が『日本・現代・美術』というふうに"中黒"によって分断されているところに、本書の意図もある。
著者の椹木野衣は、『反覆・新興芸術の位相』の彦坂尚嘉や『現代美術逸脱史』の千葉成夫を継ぐ世代として、その資質が現代美術のクリティック・リーダーになるものであろうことを、そのデビューのころから期待されていた美術評論家である。そのポストモダンな「日本という悪い場所」を摘まんでくる手法には、そうした期待を担うにふさわしい手腕が躍っている。本書は、そういう「問題をつくる」という手腕を見るにもってこいのもので、現代美術のことを「わかろう」などとしないかぎり、いくらでも現代・日本・美術の交差点が読めるようになっている。現代美術の動向がもしこのまま長いあいだ「問題をつくる」ことにあるかぎり、このような批評でしか現代日本美術は語れないのである。
と、いった視点を承知のうえでかいつまんでおくと、本書にはいくつもの考えさせられた指摘があった。
第1には、海外の美術批評家が日本の現代美術に期待する目についてである。たとえばカリーヌ・ミレーが1986年のポンドゥセンターで開催された「前衛芸術の日本」展を見て、ニヒリズムとユートピアという二つのキーワードで日本を見ると、日本のラディカリズムは「帰還不可能な地点」を示しているからおもしろいと言っているのに対し、椹木は「帰還不可能な地点」はむしろ鉛管に閉じ込められているせいかもしれないと反論していることである。
第2に、これも西側の日本の見方に、日本をポストモダンな場所と見る傾向があるのは、近代化を完了できなかった日本の前近代性がポストモダン思想にとって好都合だったからなすぎないのではないかと問いなおしたことである。
第3に、このような視点も持ちうる椹木が、本書でいうと第6章にそのことが書いてあるのだが、少年期からテレビのなかのSF性やスーパーカーやプラモデルといったポップカルチュアに埋没していて、そのためポップと非ポップの境界線こそが問題となっていたということだ。つまり、「政治と文学」の境界線や「物質と観念」の境界線や「日本と基地」の境界線よりも、ポップと非ポップの境界線のほうがずっとアクチュアルであったという"育ち方"をしていたということだ。ここを依り所にした美術批評というものは、かつてなかった。村上隆や小沢剛以前に村上や小沢がいなかったように、椹木以前には椹木はいなくたっていいと思えるのは、そこである。
第4に、椹木には、前衛とナショナリズムとを、また芸術と犯罪とを、同じロゴスで語れている感覚が批評的にあるかもしれないということだ。この「前衛とナショナリズム」や「芸術と犯罪」を瞬時に同一視する能力は、現実社会おいてはしょっちゅう放たれている視線であるのだが、実は美術批評という与えられた地平ではなかなか実現しなかった。それをやすやすとやってのけるところは、新しい批評の登場を思わせた。
第5には、これはたんなる印象を言うにすぎないのだが、こうした視点をもっているにもかかわらず、椹木にはなんだか「古風」や「風儀」を読みとる能力が生きているということだ。