父の先見
華国風味
弘文堂 1951
青木正児の本とは『琴棊書画』『中華飲酒詩選』(ともに東洋文庫)で接吻して以来のつきあいだ。惚れた。だから全集をもちたいのだが(全10巻・春秋社)、まだはたしていない。明治20年の下関生まれだから、ぼくが確信している世代に属する。京都帝国大学で狩野直喜(君山)と幸田露伴(983夜)に師事して支那文学科を出た。卒論は「元曲の研究」。北曲や散曲の調べを尽くした元の歌劇だ。以上の経緯だけでも惚れるに値する。
師の狩野君山・内藤湖南(1245夜)の衣鉢を継いで、小島祐馬・本田成之らと「支那学」を創刊したのは大正9年だったという。これが戦後まもなくまで続いた。ここから吉川幸次郎(1008夜)や倉石武四郎が出た。いずれも読むべき相貌だ。こちらも惚れるに足りる。最近は「支那」という言葉を日本人がつかうのが嫌われているようだが、当時は「支那」こそが日本をこえるアジアの歴史の巣窟の代名詞であって、日本にとじこもらないロマンの総称であった。青木はその支那をぞんぶんに吸った。留学もした。
青木正児を読むのがおもしろいのは、なんといっても扱う題材と文体のせいである。水墨山水の石涛に関する文章なんて、たまらない。一字一句が、一行一行が格別の風味をもっていた。この支那感覚あるいは青木の言う華国風味は、いったん読んだらクセになる。何度も冒されたくなる。
本書は「くいしんぼう」のための中国食道楽案内で、青木の専門領域からすると話題はそうとうに軟派のたぐいのものであるけれど、読んでいるとそんな気にはなれない。あたかも巨大な軍艦の総帥として、中国の全食材全食品全食器に対して全軍指揮をとっているかのようなのだ。饅頭ひとつが疎かではない。「無餡の円子は原始的であり、有餡の円子は進歩的である」くらいはまだいいとして、その円子がどのように団子とちがうのかという段になると、ただならぬ様相をおびてくる。
たとえば、下鴨みたらし団子や嵐山の五色団子は円子であって、端午の節句の柏餅や蓬団子こそが真なる団子であるというあたりからは、まるで叱られているようになり、そのうち、その円子や団子について則天武后の韋巨源が尚書令に拝せられたときの事情を顧みるに、などという史実疑考の調子に入ってくると、これは叱られていることこそがなんとも快楽に感じられてくるのだ。
さらに、隋朝の著名な料理通の謝諷によれば、というあたりでは、未知の謝諷が当方にも既知の昵懇の間柄に見えて、ついついおおきに身を乗り出すことになり、『食経』目録53種の饅頭の項目や『武林旧事』の市食目録の豆団ならびに麻団の項目は、というくだりにさしかかっては、もはや前人未踏の境地を共有しているということになるのであった。
世にウンチクを傾けるという。ウンチクは蘊蓄で、蘊も蓄も「積む」や「たくわえる」ということだが、青木の場合はウンチクが深いだけではなく、そこにガンチク(含蓄)が広まって、そこから1点、3点、5点を採り出しているときに加える箱書きが、ウンガンチクの芸当なのである。
何のウンガンチクかというと、支那学なら何でもござれだが、青木が得意にしたウンガンチクは中国の「名物学」だ。そんじょそこらの名物学ではない。
まず本草学としての名物学があり、その底には訓詁学としての名物学が根をはって、そのうえを風光学、文化地理学の名物学が覆い、そこに夥しい詩文学からの名物学の華葉果実がたわわに繁るというふうなのだ。博覧強記はいうまでもない。まさに「名物学序説」さえ綴っている。
本書には、有名な「陶然亭」が付録として加えられている。これは、昭和の佳き日の日本の料亭の贅を凝らした数寄料理を案内した名随筆で、京都高台寺あたりの風情をいまもって愛する者ならば一度は読むべき文章である。ぼくもいつかは「和久傳」の女将や若女将に、この文章を奨めなければならないと思っている。もっとも桑村綾さんも娘の祐子さんも、いまさらそんな昔には戻りたくないかもしれないが、いやいや、戻ってもらわなければならない日もあるのである。
本にも名物がある。読書にも名物学がある。本の裏側にも名物がある。名物の風味に触れないでは、読書は始まらない。