才事記

電話帳の社会史

田村紀雄

NTT出版 2000

 電話というのは実は乱暴な発明品で、自宅に電話器を入れて電話局のサブスクライバー(加入者)になったからといって、それだけでは何もならないツールである。
 なぜかといえば、電話をどこかにかけたくなっても、相手の電話番号がわからなければ何の役にも立たない。ようするに電話というものはサブスクライバー・リスト(電話帳)というものが手元に必要なツールなのである。電話器そのものは回線相手をもっていないのだ。ぼくも何度もやってしまったが、したがって電話帳をなくしてしまったら、それでおじゃんなのである。
 この不便を解消したのがメモリー内蔵型の電話端末機で、いまならケータイである。これなら必要なテレフォン・リストを電話器そのものが内部に保管してくれている。しかし、そこにいたるまでの道程がたいへんだった。本書はその電話帳の歴史を初めてあかるみに出している。

 最初に電話帳のしくみをつくったのは、リチャード・ドネリーの『シティ・ディレクトリー』のようだ。1880年代までさかのぼる。すでにアルファベティカル・ページとビジネス・ページに分かれていた。後者がイエローページにあたる。
 ドネリー社のしたことで興味深いのは、ヘディング(分類)とデザインの工夫である。デザインはタイプフェイスの多用によっているが、ヘディングには「ブック・ビジネス」という分類方法を採用した。いわゆる職業別である。
 その後、電話帳はめざましい進化をとげていった。まず定期刊行物になった。「最もよく読まれている雑誌」「聖書を凌ぐベストセラー」などといわれるのは、電話帳がれっきとした出版物であることをよく物語っている。しかもタダ。そこで電話帳に目をつける広告主が次々にあらわれた。
 たんなる広告ではない。電話番号を広告するという“文化”がそこにあらわれた。こうなると電話番号にも“いい番号”というものが出現して、プレミアムがついてくる。「♪伊東に行くならハトヤ、ハトヤに決めた、4126、ハトヤ、よいふろ、ハトヤ」というふうになる。
 電話帳は姓名学の宝庫にもなった。これを研究する分野をオノマトロギーというのだが、電話帳と首っぴきで民族や家系を調べる調査ビジネスも生まれた。とくに会社名を発案するには電話帳を見るのが手っとりばやかった。アメリカのロチェスター電話社では「複数回掲載システム」を導入して、企業の広告掲載率の倍増をもたらした。
 電話帳には住所が載っている。この住所をビジネスにしたり、住所のグルーピングに工夫を加えるというサービスもあらわれた。テネシー州のインターマウンテン電話会社がその先駆者だそうだが、ここはいわゆる「タウン情報」をつくって、住所そのものに価値を与えることに成功した。

 電話帳の歴史は検索の歴史でもある。ということは、編集の歴史でもあった。いまインターネットでも検索システムが最も重要なサービスになっているが、これは電話帳の歴史のまさに繰り返しなのである。
 最初は交換サービスである。ついで電話番号案内や電話番号調べというサービスが生まれた。番号調べ員がずらりと並んで首っぴきで調べ、サービス孃がこれをお知らせするという原始的なサービスから出発して、しだいに検索システムを向上させていった。電話帳の巻末にも各種のインデックスをつけた。イヤイヤ電話帳そのものが巨大な検索システムとして成長していったのである。さらに電話番号から名前へ、住所と名前から電話番号へという、オンラインによる相互検索サービスができてきた。
 しかし、これらの検索サービスもコンピュータとネットワークが結ばれるにしたがって、結局は電話だけのサービスではなくなっていった。オンライン上のすべての情報を検索できること、このことが最大目標になってきたのである。インターネット時代とはそのことである。
 しかし、こうなってくると、電話をふくむオンラインシステムの総体が検索エンジンを内蔵した編集構造をもたなければならないということになる。また、送信側と受信側がしだいに同一編集検索システムの中で重なっていく。しかも電話番号とIDコードとが連動と重畳することによって、最近のケータイやiモードがそうなのだが、電話をかけることとメールをヨムことと、その相手の番号(コード)を登録することと、それをリダイヤルすることが、すべて同じ意味をもってくる。つまり検索とは、実は「相互編集モードの共有だ」ということになっていくのである。

 本書は、古きよき時代の電話帳の歴史を紹介している。読んでいるとホッとする。
 しかし、実際には、これからの電話帳の歴史は、電子化された情報編集構造の歴史というものになっていく。ハローページもイエローページも、すべてデジタル・ページネーション・システムになっていく。