父の先見
マイケル・ジョーダン物語
集英社 1993
Bob Greene
Hang Time 1992
[訳]菊谷匡祐
ボブ・グリーンがマイケル・ジョーダンを書いたとあっては聞きずてならない。
このアメリカきってのコラムニストは、それまで有名人のことなど一冊の本にしたことがなかったし、ましてスポーツマンに関心を示しているとも見えなかった。「シカゴ・トリビューン」で20年にわたって書いた有名なコラムを、ぼくはグリーン・ファンとしてではなく、アメリカという得体の知れない国を知る手立てとして、おおむね読んできた。それらは気恥ずかしくなるような『アメリカン・タイム』『アメリカン・ドリーム』『アメリカン・ヒーロー』『アメリカン・スタイル』(いずれも集英社で翻訳されている)というタイトルで本になった。
タイトルは気恥ずかしいが、グリーンはこれらのなかで無名のアメリカ人たちの勇気を甚だ真剣に、ただし実にアメリカンな筆致で描いていた。それがグリーンのやり方だったのだ。
そのグリーンがバスケットボールの神様マイケル・ジョーダンについての大冊を書いたというニュースを『エスクワイア』か何かで知ったとき、これはよほどマイケル・ジョーダンの深い勇気のようなものに衝撃をうけたのだろうと思った。
なぜグリーンがマイケル・ジョーダンに関心をもったかということは、第2章であかされている。
グリーンがある事件の経過を追っていたとき、ジョーダンの魂に出会ったのである。事件というのは、ある母親とその恋人が4歳の少年を殴りつけ、逆さ吊りにしたまま食事も与えず、何日もクローゼットに閉じ込めて殺したという事件である。この少年に6歳の兄がいて、このコーネリアス・エイブラハムという少年も拷問を受けていたのだが、奇跡的に助かった。
グリーンはコラムでときどきこの事件の後日談を書いていたのだが、廃人のようになりつつあったコーネリアスが読書とバスケットボールだけにわずかな興味を示していることを知って、コラムでそのことにもふれた。それを読んだシカゴ・ブルズの副社長スティーヴ・シャンウォルドがグリーンのオフィスに、その少年がシカゴ・ブルズの対マイアミ・ヒート戦を見たければ切符を用意すると言ってきたのだった。
こうしてグリーンは少年とシカゴ・スタジアムに行くのだが、そこでジョーダンが示したことは驚くべきことだった。まず少年に声をかけ、楽しく話しこみ、ブルズのボールボーイのユニフォームをプレゼントした。それからロッカールームに戻り、再びコートに出てきたときにまた少年に微笑みかけ、そっとブルズのベンチの自分の席に連れてきた。ここまでならグリーンもその後のジョーダンとの長い付き合いを始めなかったろう。
ところがジョーダンはゲームが始まっても少年をその席に座らせたばかりでなく、休憩のあいだにコートのボール拾いまでさせたのである。その日以来、グリーンはシカゴ・ブルズの試合があるときは必ずスタジアムにタクシーで駆けつけた。それまでグリーンは一度もNBAを観たことはなかったのに。
本書でマイケル・ジョーダンの私生活や思想や秘密を知ろうとしても、ムダである。ぼくも実は、そういうこともしこたま書いてあるだろうと期待していたが、この期待は外れた。
グリーンがさまざまな機会をとらえて発する質問に、ジョーダンは彼の性格を反映しているのだろう、かなり生真面目に答えているのだが、どうもそれが散発におわっている。しかもグリーンはこれまでのエッセイがそうであったように、まったく論評を加えない。ジョーダンの秘密を知りたい者にとっては、これはそうとうの不満になる。なにしろ「あれは神様がマイケル・ジョーダンの姿を借りているんだ」と言われるほど、完璧なプレーとダイナミックでセクシーな肉体と笑顔をもっているジョーダンなのである。どんなくだらないエピソードやゴシップも、アメリカはむろん世界中をおもしろくさせること請け合いなのだ。
しかし、グリーンはこの長い物語にそういうファンを喜ばせることを何も書かなかった。編集とは「そこに何を登場させないか」という工夫をすることに大きなコツがある技術であるが、そういう意味ではボブ・グリーンの技術は本書では編集が効きすぎるほどなのである。
それなのに、本書には生きているということを感動させる何かがドクドクと脈打っている。マイケル・ジョーダンの全身を出入りする「人間」というものが描かれているからである。「試合中は瞑想しているようなものだ」というマイケル・ジョーダンの人間の姿が実によく描かれている。
ちなみに本書の原題は“ハング・タイム”である。これはシュートのときに空中に飛び上がってダンクをするまでの息を止めたくなるような浮遊時間のことをいう。ボブ・グリーンはその、時計で測ればわずかだが、見ている者にとっては永遠に長いようなハング・タイムからジョーダンを書いた。
ところで、実はぼくも中学時代にバスケットボールをしていた。父親が最初に買ってくれたのがグローブと少年バットで、次がバスケットボールで、その前から家にあったのがラグビーボールなのである。
バスケットボールの大きさは、中学生にとっては地球のように大きく、世界のように威厳に満ちていた。ぼくはそれを得意気に学校に持っていき、そして持って帰った。「おい、それ、家に持って帰るなよ」と先生や友人が言うのを待って、ぼくは言ったものだ、「これ、ぼくのなんです」。
バスケットシューズも美しいものだった。マイケル・ジョーダンのバスケットシューズはナイキが提供した有名な“エア・ジョーダン”だが、当時のバッシューもどうして、すばらしく白く、すばらしく美しかった。その靴底がコートでキュッキュッと音をたてるようにカットインするのは、ぼくが中学生のときに何度も練習して習得した、女の子に見せるための最高のアピールだった。
本書でマイケル・ジョーダンも言っているのだが、「ぼくは女の子にもてるためにバスケットボールを始めたんだ」。マイケル・ジョーダンは何も飾らない世紀末アメリカの神話なのである。