父の先見
ペンギン大百科
平凡社 1999
Tony D.Williams
The Penguins Spheniscidae 1995
[訳]ペンギン会議
子供のころにペンギンを知ったとたんにペンギン歩きをした。それが何歳くらいのことだったかはわからないけれど、同じころ、キリン、ライオン、カメ、フクロウ、オランウータンが好きになった。妹と遊ぶときは、よくこの手の動物の真似をした。いまとなってはこういう動物を好んで選んだ理由はまったく推理しようもないが、ペンギンがなかでもお気にいりだったことはよく憶えている。サンスターだったかのラジオ・コマーシャルでペンギンの歌があったことも影響していた。
そのペンギンを邪険に扱うことは子供心にも許せなかった。いまから十数年前のことだが、そのときはもはや子供心ではないのに、エルトン・ジョンがペンギンの恰好をしてピアノの前に坐って歌い出したときにかなりムッとした。その直後、そんな反応をしている自分に驚いた。えっ、俺はペンギンの何なんだ、身元保証人なのかよ。もっと滑稽なのは、《バットマン・リターンズ》にペンギン男が出てきたときで、これは映画館ですっくと立ち上がってプロテスト・ポーズをしたくなっていた。
こんなことだから、ここから先はたんなるペンギン自慢の親バカちゃんりんのようなもの、みんなにペンギンを褒めてほしくて綴るだけのことである。
地球上に鳥は9000種いる。ペンギンはそのうちの6属18種ないしは19種を数える。そのすべてが空を飛べない。なのに海鳥なのである。
ペンギンは、どこがおもしろいかといえば、この鳥としての特異性がいい。空を飛ばないのにあんなに愛嬌があるなんて(飛ばないから愛嬌があるのだろうか)、西側社会に共通するイカロス伝説すら通用しないということなのだ。
その20種ほどのペンギンのほとんどがほぼ似たような黒と白のツートンカラーであることは、たとえばキノコがだいたいキノコ形であることに似て、いかにもペンギンをペンギンらしくしている。たとえばサルは、サルらしくないものまでがサルである。サルとネズミの区別がつかないものもいる。その点、ペンギンはほぼすべてがペンギンらしいのだ。
ペンギンのディスプレーには他の動物と同様に各種のものがあるのだが、その中心に「おじぎ」があることが、これまたペンギンをペンギンにさせている。むろん礼儀を心得ているわけではないが、すべてのペンギン種において「おじぎ」は絆を強化する機能をもっていて、そうだとすれば「おじぎ」はやはりペンギンのメインマナーなのである(何度もおじぎをするのにペコペコしていないのがよろしい)。
ペンギンは絶食ができる。120日間にわたっての絶食が記録されたこともある。偉大な忍耐力の持ち主なのだ。節食・節力型なのである(絶食できるのに瘦せないのも変でいい)。こういうふうに見てくると、泳ぐと自分のまわりに乱流をつくるなんていうこともペンギンを誇り高い動物にしているということになる(これはイルカも同じだ)。加えて長期にわたって一夫一妻制を守っていることは、ぼくには解せないことであるけれど、これも誠実な生物だということで大目に見ることにする。
ペンギンは中生代白亜紀の1億4000万年前から6500万年前に出現した。中生代は三畳紀・ジュラ紀・白亜紀というふうに進むのだが、その中生代最後に南半球のどこかで発現進化した。ルーツはおそらくウミツバメかウといった海鳥のたぐいだろうと見られている。とすると、ペンギンはようするに越冬ツバメなのである。
その生きものとしての形態は南大洋の水温の寒冷変化と関係がある。たとえば羽毛は見た目よりもずっと硬く、先がとがった槍のようになっているが、その根元には細かい綿毛がびっしりついていて、そのため保温機能がはたらく。こういう羽毛を陸と海中でつかうので、陸ではフリッパー(翼)の羽毛が一本一本自在に起きて寒気を調整し、交尾や産卵などのときには羽毛がかぎりなく寝かせられるようになった(ようするに起毛装置がついている)。
一方、海中では羽毛をかぎりなく圧縮させ、皮膚が濡れるのを防げるようにした。そのためにはフリッパーを入念に羽繕いすることによって羽毛に油脂をまんべんなくつけられるようになった。大量のペンギンたちがコロニーとなって愛らしい姿を見せているのは、たいていはこの油脂供給の羽繕いのための光景だ。
つまりはペンギンは体のすべてが保温器であって放熱器であり、温度交流機構なのだ。ペンギンは生きている自律サーモスタットなのである。
ペンギンはイルカ泳ぎもできる。アデリーペンギンやマカロニペンギンがドルフィンキックさながらに次々に波間を飛んでいくときは、秒速3メートルになる。このスピードで餌をとる。
それでも餌が見当たらなければ潜水泳法に切り替える。このときは水面で反射する光を立体視する。眼球の中に水様液があって、これがステレオグラフのためのレンズになるので、反射光を入れる必要があるからだ。そのためペンギンが海中深く潜るということはない。あくまで水平移動が専門だ。そこで、イルカなどとはちがった流体力学がそこにおこっているだろうということになる(ペンギンは空から戻ってきたイルカなのだ)。最近はペンギンをモデルにしてモーターボートなどの船舶設計をする連中もあらわれた。海洋生物ロボットとしてのペンギンだ。
ペンギンは共同保育所をもっている。これはクレイシとよばれているもので、ヒナを集める。もともとペンギンは巣の中で育つのであるが、ヒナはすぐによちよちと歩き出す。このとき敵に襲われることがある。そこでヒナたちばかりが集まって、保育係のペンギンおばさんに見守られて遊ぶ。インキュベーションだ。保育園である。親たちはそのあいだは安心して海に餌をとりにいく。そういうクレイシができている。どうやらペンギンにはワーキングシェアの知恵がそうとうにはたらいているようなのだ。
これほど人気のあるペンギンなのに、その研究はあまり進んでいない。南極をはじめ研究する環境が厳しいのと、研究者がこぞって観察保護する条件が成り立ちがたいからだ。なにしろすべては氷の上だ。だいたい南大洋で発現進化したといいながら、南極には皇帝ペンギンとアデリーペンギンの二種しかいない理由がわかっていない。
鳥は陸上にいるときは胴体を前後に倒して首を起こすのに、ペンギンが胴体を垂直に立てている理由もわからない。そのせいで翼が退化してフリッパー化したのだろうが、ところがこの翼は水中では遊泳力の武器になっている。
気の毒に「脚が短い」とか言われているのは、体内の皮下脂肪の内側で脚が屈折しているからなのだが、その関節は固定されたままなので、脚が伸ばせなくなった。どうしてこんなことになったのかも、まだ説明できていない。
まあ、ああだこうだと議論がされて、1975年にイギリスのバーナード・ストーンハウスが『ペンギンの生物学』を編集したのをきっかけに、やっと1988年にニュージーランドのダニーデンで第一回国際ペンギン会議が開かれたのである。これをもってペンギン研究元年とするくらいだから、まだペンギン知はよちよち歩きなのだ。
本書は、このダニーデンのペンギン会議で初めて顔をあわせた研究者たちが協力して編集した“ペンギン尽くし”で、日本で手に入る唯一の本格的なペンギン生物学の本となった。ペンギンまみれになるにはこの本に溺れることだ。