才事記

大衆の反逆

オルテガ・イ・ガセット

白水社 1980 1995

Ortega Y Gasset
La Rebelion de las Masas 1930
[訳]神吉敬三

 「今日のヨーロッパ社会において最も重要な一つの事実がある。それは、大衆が完全な社会的権力の座に登ったという事実である。大衆というものは、その本質上、自分自身の存在を指導することもできなければ、また指導すべきでもなく、ましてや社会を支配統治するなど及びもつかないことである」。
 こういう断定的な文章で始まる『大衆の反逆』をいつごろ読んだのだろうか。おそらく「遊」2期をつくっているころだとおもうが、大衆社会化論というものに惑わされて、ほったらかしにしていたのだとおもう。読んでみて、そうか、大衆に問題があるのか、ふーんそうか、と驚いた。
 オルテガのことは60年安保で機動隊に圧殺されて死んだ樺美智子さんの父君の樺俊雄さんに教えられた。手元に本がないのでわからないのだが、樺さんは日本で最初のオルテガ翻訳者だったとおもう。たしか『大衆の蜂起』というタイトルだった。
 ただし、ぼくがオルテガを最初に読んだのは『芸術の非人間化』というもので、これは父の借金をあくせく返しているころに、荒地出版社の河村君が「こんな本をつくったよ。松岡君にあうんじゃないかと思って」ともってきてくれた。この本の中身はうっすらとしか憶えてないが、新しくおこりつつある芸術が人間性を排除したり否定するところ、および「たいしたものじゃない」ものの表現するところに成り立っていくだろう、それはドビュッシーとマラルメにおいて予告されていた、というようなことが書いてあったように思う。これにも驚いた。

 オルテガはマドリッドのジャーナリスト一家に生まれている。父親はスペインの有力新聞「ユル・インパルシアル」の編集主幹、母親はその新聞創立者の娘だった。
 そのせいか、オルテガには論文や体系的な記述がない。もっぱらエッセイを好んだ。それも、ある態度を貫いた。やるべきところでは身を使い、そうでない場面ではひっこむという態度である。たとえばオルテガは新聞一族に育ったこともあって政治に関心をもっていたが、政治家を知識人の立場で批判することを嫌った。自分も政治プランを出すつもりで批評した。ときにはそのための行動をおこす。実際にも、1931年にスペインは共和国になるのだが、その王政崩壊の直前に「共和国奉仕団」というものを結成した。政治結社である。
 共和国成立後、周囲からこの活動に期待が集まると、オルテガはそれならというので代議士として責務を果たして新憲法の確立に手を貸した。が、それがすむとすぐにこれを辞している。こういう態度があったのである。

 オルテガが生きた時代は2つの大戦の間にあたる。そのためオルテガにはつねに危機意識があった。しかし、いったい危機とは何かというと、これがはっきりしない。
 危機だからといって騒いだり焦ったりして解決を急いでもうまくいかないこともあるし、逆に放っておいたら危機が通りすぎていたということもある。誰しもおもいあたることである。が、これでは危機そのものの意味がわからない。見えてこない。それなのに世間ではつねに危機がはびこる。そこでオルテガは危機の正体をつく。「危機とは二つの信念のはざまにあって、そのいずれの信念にも人々が向かえない状態のこと」、そう決めた。

 では、その信念とは何なのか。ここからがオルテガ流の哲学の出発になる。
 その成果が1940年の『観念と信念』だった。標題が示すように、オルテガは観念と信念を区別し、これを混同してきたのは近代人の主知主義の誤謬だと指弾した。
 オルテガがそこで言うには、表面上は観念は「思いつき」で、信念は「思いこみ」に見えるのだが、それだけではつねに混同がおこる。実はそこにはもうひとつ深い層があって、その「潜在的含蓄」によって区別するべきなのである。そうすると、信念が「われわれ自身がその信念の中に、いかにして、また、どこから入ったかも知らないのに、いつのまにか入りこんでいるという確信」なのだということが見えてくる。これは何かに似てはいまいか。そう、これは慣習の力というものに似ている。80年代に彗星のようにあらわれたピエール・ブルデューの「ハビトゥス」(習慣)の発想とはだいぶんちがっているが、どこか一脈通じるものもあった。
 かくてオルテガは、この「潜在的含蓄としての信念」が社会の中でどのようにはたらいているかに関心を向けていく。

 『大衆の反逆』は、まず大衆がけっして愚鈍ではないこと、大衆は上層階層にも下層階層にもいること、その全体は無名であることを指摘する。ようするに大衆とは新しい慣習のようなもので、「大衆とは心理的事実」なのである。
 そこまでは、大衆に罪はない。いやいやどこまでいっても大衆には罪がない。ところが、この大衆の動きや考えが何かに反映し、それがその社会が選択した「信念」と思えてしまうと、問題が出る。オルテガはその現象こそが、いまスペインにおこりつつある現象なのだと観察した。すなわち、罪のない大衆はいまや「無名の意思」を「やみくもに現代社会におしつけはじめた」のではないかというものだ。
 大衆に罪がないとすれば、どこかに罪がまわっていく。どこかに罪の主体が押しつけられる。たとえばスキャンダルによる失脚、たとえばマスコミの報道によるキャンペーン、たとえば政治家の政治、たとえば官僚の判断力。大衆はこれらを自由に問題にして、そしてさっと去っていく。

 オルテガによれば、大衆の特権は「自分を棚にあげて言動に参加できること」にある。そして、いつでもその言動を暗示してくれた相手を褒めつくし、またその相手を捨ててしまう特権をもつ。
 ただし、大衆がいつ「心変わり」するかは、誰もわからない。それでも社会は、この大衆の特権によって進むのである。
 この分析は、本書をたちまちベストセラーにした。スペインだけではなく、各国で翻訳された。1930年の初版といえば、ナチスが台頭し、猛威をふるいはじめたときである。人々はオルテガを読み、自分が大衆に属していることを初めて知らされる。

 大衆がどのように出現してきたか、オルテガの回答は意外なものである。「自由民主主義」と「科学的実験」と「工業化」が大衆をつくったのだというものだ。これでピンとくる人はよほどカンが鋭いか、何かの苦汁を嘗めた経験がある人だろう。
 自由民主主義が大衆をつくったことは多数決の原理にあらわれている。これはわかりやすい。工業化が大衆をつくったことも、マスプロダクト・マスセールによって誰もが同じものを所有する欲望をもったということを見れば、見当がつく。だが、科学的実験はなぜ大衆の出現に関係があるのだろうか。
 オルテガは20世紀になって甚だしくなりつつあった科学の細分化に失望していた。科学は「信念」を母体に新たな「観念」をつくるものだと思っていたのに、このままでは「信念」は関係がない。細分化された専門性が、科学を世界や社会にさらすことを守ってしまう。こんな科学はいずれそれらを一緒に考えようとするときに、かえってその行く手を阻む。それはきっと大衆の言動に近いものになる。それよりなにより、そうした科学にとびつくのがまさに大衆だということになるだろう。
 こういう懸念がオルテガに「科学的実験が大衆の増長を促す」という「風が吹けば桶屋がもうかる」式の推測を成り立たせた。オルテガはこの見方に自信をもっていた(ややもちすぎていた)。それは、こうした科学を推進してやまない科学者を「サビオ・イグノランテ」(無知の賢者)と呼んでいることからもうかがえる。

 ぼくはオルテガの大衆論を諸手では迎えない。いろいろ不満があるし、とんちんかんなところも感じている。
 たとえば、オルテガがエリートと大衆を分けているのは、もう古い。古いだけではなく、まちがってもいる。いまではエリートも大衆に媚びざるをえなくなっているからだ。
 そういう不満はいろいろあるのだが、感慨や沈思もいろいろあった。ひとつは、オルテガのように大衆と対決する哲人は、もう資本主義のさかんな国にはあらわれないんじゃないかという感慨だ。なぜなら、そのような哲人は大衆を衆愚扱いすることになり、それでは自ら天に唾するものになってしまうからである。
 これは、哲人は大衆と対決するのではなく、たんに大衆の場面から去るしかなくなっているという感慨でもある。
 もうひとつは、大衆の解体は何によっておこるのだろうかという疑問のような感慨だ。そんなことはおこりえないのか、それとも大衆そのものが自壊する要因があるとしたら、それは何なのだろうか、また大衆が自壊をのりこえる作用をもっているとしたらそれは何なのだろうかという問いでもある。
 とくにインターネットによって世界が少しずつウェブ液状化をおこしている世紀末、そんな感慨に耽りたくなってくる。

参考¶オルテガを読むには『オルテガ著作集』(白水社)が基本文献になっている。「観念と信念」は第8巻「小論集」にある。ここには「司書の使命」も入っていて、ライブラリアンやウェブ管理のヒントがつまる。そのほか翻訳本に『哲学の起源』(法政大学出版会)、『反文明的考察』(東海大学出版会)、おそらく絶版だとおもうが『現代文明の砂漠にて』(新泉社)などがある。『大衆の反逆』は「世界の名著」(中央公論社)にも入っていて、詳しい解説がついている。