父の先見
ボッコちゃん
新潮文庫 1971
そのロボットはうまくできていた。バーのマスターがつくった。美人である。つんとしているが、それは美人の条件だからしょうがない。ただアタマはからっぽだった。それでもオウム返しと語尾変化だけはできるようになっていた。
カウンターの中に入れたら、客が新しい女の子だと思って話しかける。「きれいな服だね」「きれいな服でしょ」「何が好きなんだい」「何が好きかしら」「お客のなかで、誰が好きかい」「誰が好きかしら」「こんど映画へでも行こう」「映画へでも行きましょうか」。こんなぐあいだから、客はロボットに惚れた。
青年がやってきてロボットに恋をした。けれども酒代がやたらにかさんで、父親に怒られた。「もう来られないんだ」「もう来られないの」「悲しいかい」「悲しいわ」「本当はそうじゃないんだろう」「本当はそうじゃないの」「きみぐらい冷たい人はいないね」「あたしぐらい冷たい人はいないの」「殺してやろうか」「殺してちょうだい」。青年は薬をグラスに入れた。そして言った、「飲むかい」「飲むわ」。
こうして客が死に、ロボットが残った。これが星新一が製造した有名なボッコちゃんである。
星新一の文庫がどのくらいあるかとおもって奥の棚をひっくりかえしたら、5冊ほどあった。ぼくは海外のSFをずいぶん堪能したが、それは20代のころなので、多くは段ボールに入っているか、奥の棚に積んである。
さいわい5冊ほどが埃りをかぶっていた。『マイ国家』『妄想銀行』『妖精配給会社』など、なんとも懐かしい。いずれも新潮文庫で、そのうちの1冊の文庫のカバー袖の星新一の作品ラインアップを見たら、なんと新潮文庫だけで40冊を越えている。しかもこの1冊ずつの文庫本の中に、それぞれ10篇とか20篇とか入っている。この『ボッコちゃん』のようにショートショートばかりが入っていると、1冊で35篇を越える。巷間の噂では1001作品のコントがあるという。
そのほかに加えて、お父さんの星一やおじいさんの小金井良精を書いた重たい本(内容ではなく本の重量)が何冊もある。これもおもしろかった。それにしても多い。きっと何もしないで書いてばかりいたにちがいない。
星新一の作品をコントというか、ショートショートというか、たんにSFというかは、どうでもよろしい。日本にこのような分野のアイランドをたった一人で造成したのが気高い。
むろんこういうスタイルは海外にも日本にもたくさんあった。ロード・ダセーニもそうだし、フレデリック・ブラウンもコントの名人だった。だが、星新一にはやはり独得のスタイルと哲学がある。筒井康隆はそれを「ストイシズム」「他人を傷つけることのない自己の完成」とよんだが、それもある。ちなみに筒井康隆が作家の解説を書いたのは星新一についてのものが初めてであり、これは自信がないが、そのあともそんなに書いていないはずである。
ストイシズムというのは、平気で「寂寞」をストーリーにもちこむところ、ちょっとした言い回しに人間生活の「過剰」を指摘する文言を挿し挟むところ、あるいは筋書がけっして冗漫に拡張しないで「緊縮」していくところ、そういうところがストイックなのだろう。「自己の完成」というのは、なかなか鋭い批評で、たしかに星の作品には登場人物が筋書きがなんであれ、平然と勝手な自成をとげていくところがある。そこはハードボイルドにもブラックユーモアにもない哲学だといってよい。
が、星新一にはそれだけではなく、まずはむろんのこと「機知」がある。その機知が「基地」になっているような、そこから小粒のウイット型HOSI式戦闘機がぴゅんぴゅんと飛び立ってくるような、そんな機知である。
それから当然のことだが、話がうまい。どううまいかというと、フリがいい。「振幅」である。ふつうはこの振幅はふりすぎて命取りになるばあいもあるのだが、そこがなかなか断崖から落ちない。バランスがいいというより、危なくなるとふいにギアを入れて加速して切り抜ける。フリ抜ける。そこは、こんな言い方でいいのかどうかはわからないが、けっこう勝手なのだ。が、読者はその勝手に酔わされる。それを何度でもほしくなる。その麻薬に痺れたい。それでファンがまたふえる。
ではもうひとつ。「程度の問題」という作品。この手の「追いつめられたユーモア」のたぐいも星新一のお得意である。
エヌ氏はついに憧れのスパイになった。最初の仕事は某国の首都に潜伏することだった。さっそく地味な服装でアパートを借りたエヌ氏は、部屋の中をしっかり調べ始めた。どこに盗聴器が仕掛けられているやもしれないからだ。
テーブル、ベッド、電話機はもとより通風機、洗面台、鏡の裏側まで剥がして調べた。これではスパイには失格かもしれないので、壁や床もコツコツ叩きまわった。が、どこにも盗聴器は見つからなかった。そのうちドアをノックする者がある。ギョッとして「どなた?」と聞くと、アパートの管理人だという。「この部屋から物音がするので他の部屋の方から文句が出ています」。入室を断ると怪しまれるので管理人を中に入れたが、あまりの部屋の廃墟のような光景に驚かれてしまった。
次の日の夕方、エヌ氏は周囲を見るために公園に出掛けた。ボールが飛んできた。一瞬、身をひるがえしベンチに体を隠したエヌ氏に、少年が「ボール、とってよ」。じっと身構えたものの、ボールはどうも爆発しない。そこでエヌ氏は次にレストランに入った。注文の品を吟味し、料理がきた。そこへちょうど犬を連れた貴婦人がきたので肉を一切れ毒味をさせた。貴婦人はその行儀の悪さに怒りだした。
今度はエヌ氏はバーに入ってさまざまな人物観察をしようと思った。注意深く酒を検討していたら、怪しげな隣の男が話しかけてくる。「お仕事は?」「古代美術の研究ですよ」。うまくウソをついた。が、だんだん話の辻褄があわなくなってきた。古代美術は難しすぎる。タバコを吸ってごまかそうとしたら、男がさっとライターを出した。慌ててライターを振り落としたところ、「なんですか、失礼な」。あわや乱闘になりかけた。
そこへ女が入ってきた。エヌ氏と同じ組織に属する女スパイである。いろいろ打ち合わせて外に出たら、「うちで紅茶でもどうぞ」と言われた。紅茶が入ったが、エヌ氏は考えた。彼女はたしかに同僚だが、ひょっとするとすでに二重スパイになっているかもしれない。念のため、エヌ氏は紅茶をすりかえた。飲むとすぐに眠くなってきた。
朝になって彼女が言った、「どうしてあたしの紅茶を飲んじゃったの。あたし不眠症だから寝る前に薬を入れるのよ」。翌日、エヌ氏は帰国を命じられた。