才事記

男が女になる病気

植島啓司

エピステーメー叢書・朝日出版社 1980・1989

 あるものを理解するために「それに似たものをさがす」という注意のカーソルの動きがある。ルイジとソージのカーソルが動くのだ。宗教文化の歴史では、そのあるものはたいてい各地に飛び火し、同位元素がつくられ、倍音をふやし、異性体を派生し、その他さまざまな似たものを招じ入れていく。
 著者はそのようなことを求めて本書を書いた。ここでは「あるもの」とはヘロドトスやアリストテレス(291夜)やヒポクラテスによって「エナレス」とよばれた風変わりな現象である。エナレスは病気だと思われた。これが表題の「男が女になる病気」にあたる。ホモセクシャルのことではない。それも多少は含まれるが、宗教人類学や医療人類学にとって謎に満ちている。
 本書の叙述はそっけなく、断片的で、学術的文体としての統一もはかられていないけれど、示唆に富む。こういう書き方だったから、著者の狙いが絞れたのだろうし、こちらも推理の愉しみが広がった。植島啓司は宗教史学者であって、また名うての競馬狂いである。万馬券を何度かあてている。ジョン・C・リリー(207夜)が来日したとき、記念シンポジウムが開かれて植島もぼくもパネルに招かれたのだが、その一週間ほど前に百数十万円の大穴をあてていた。この一冊にもそういう万馬券が入っている。
 
 紀元前7世紀ごろから黒海の北側のステップ地帯にスキタイ人がいた。そこに奇妙な病気が流行しているという噂が古代ギリシアに届いていた。多数の男たちが生殖不能となって“女”として暮らしているというのだ。これがエナレスの噂である。
 ヒポクラテスの説明では、スキタイ人は馬に乗るせいで関節に炎症が生じやすく、その治療法として両耳のうしろを瀉血することが奨励されていたのだが、しばしば血管を切ってしまうので、そのうち性交不能となり、その原因を神々に求めて然るべき定めにしたがって女性の服装をなし、女性として振舞うようになったという。
 両耳の血管が生殖機能と直結しているだなんて、まるで中国医学の経絡のようであるが、植島はそのような考え方や治療法は古代エジプトをはじめ、各地にあったのではないかと見る。たとえばエンゲージ・リングを薬指にはめるのは、薬指が心臓につながっていると考えられたからだった。
 古代、こうした「想像上の解剖学」はたいていは“神聖病”として認知されていく。エナレスも、スキタイ人のある者がシリアの町アスカロンのウラニア・アフロディテを祀った神殿を荒らしたのが原因だとみなされた。ウラニア・アフロディテはキュプロスなどを中心に西アジア一帯に広まった女神信仰だ。ヘロドトスは、アスカロンの神殿には古代ギリシア文化に先立つ最古層の信仰があるとみなしていた。

 エナレスの伝承は、ウラニア・アフロディテの信仰そのものになんらかの「男が女になる病気」の因子が孕んでいて、それがスキタイ人に広がって変形していったと読むことができる。そのためかどうか、スキタイのエナレスは女装した占い師として柳の枝をつかった特別の卜占術を駆使するようになったという。
 特別の卜占術とは怪しい占いということで、古代ローマでもビザンティン社会でもその後のキリスト教社会のなかでも、こうした得体の知れない占術はつねに禁止されつつも、流行してきた。
 支配体制を整えようとする社会において、制度にあわない占いはつねに排除されてきた。しかし制度はイメージを制限しきれない。覆い隠せない。イメージは制限を食い破って人々の注意のカーソルの束となり、土地をまたぎ民族をこえて伝播される。それが見える制度に代わって、ときには新たな見えない「思考の枠組」になっていく。
 制度の本質は古今東西どこにおいても分類である。フーコー(545夜)は分類が猛威をふるった最初の時代を古典主義時代においたけれど、実際には分類は古代制度にすでに顕著であった。制度とは、何をどこに分類するかだったのだ。分類に入らないものは「例外」や「化外」や「怪物」や「魔女」とみなされた。
 人々のイマジネーションはタフなもので、そのように排除された非分類の系譜にこそ空想がはたらいていく。こうしてデーモンの一族や巨人の一族や土蜘蛛の一族が想定され、それに似たものが付け加わっていく。例外は例外と縁組をする。たとえば昨今、われわれはオサマ・ビンラディンやサダム・フセインやオウム真理教が排除されたままであることを知っているが、時がたつにつれ、そこにはビンラディンやフセインやオウムの幻の系譜が想定され、きっとそれが増殖していくはずなのである。そうでなければ、たとえば菅原道真のように天神化する。
 それにしてもなぜエナレスに発したとおぼしい「思考の枠組」は、女装をともなったのか。女装にはどんな意味があったのか。
 
 古代中世のスキタイ人の習俗は、今日なお中央コーカサス地方のオセット人にいくばくかが残っている。そこには柳の枝による卜占術が見られる。その占術は女性にのみ特有されていた。
 オセット人の占術師はシャーマンである。シャーマンの習俗は世界各地でさまざまな風体になっているが、日本では「巫女」とは綴るものの、女もいれば男もいた。はっきり区別しにくいものも少なくない。男のシャーマンが神霊の象徴力をあらわすために“神の妻”となるために女の衣裳をまとったり、“女の声”を発したりもする。
 とくに驚くべきは、なんらかの理由で女系が絶えたり女権が奪われたりした地域では、男が男のシャーマンを生むために、結婚あるいは擬婚をする例である。そんな例を考えてみると、スキタイの「男が女になる病気」は病気ではなく、エナレスというシャーマンのことだったかとも思えてくる。まだ古代ギリシアが遊牧民や西アジアの宗教儀式を知らなかったため、それが病気や“神の病”として解釈されたのかもしれない。
 とはいえ植島は、事態はそんなに簡単ではなかったと考える。そこにはソージ君やルイジ君のふるまいを伴う擬婚や擬娩の習俗があって、それがさまざまな「それに似たもの」を呼びこんだのではないか。つまりここに異色のシャーマンの発生や、小アジアや遊牧民族における「ゲイの起源」を指摘することはできないだろうというのだ。

 こうして本書は、そもそもイメージとメタファーがどのように形成され、それが「似たもの」を食べ、「似たもの」を吐いていく精神の運動として、世界各地にどのように異なった情報をふりまいていくかという事情の一端の解読に向かっていく。
 江戸後半期、若衆女郎が流行したことがある。一種のトランスジェンダーだ。若衆が女郎を装ったのか、女郎が若衆を装ったのかというと、女郎が男装して見世に出た。われわれはこのような現象をひとつの風俗か流行か、もっと悪いときは個性の開花か表現アイディアのように見てしまう。しかしそんなことはめったにないと思ったほうがいい。事情はつねに複合的で相互的なのだ。
 「男が女になる病気」に単一の原因があるわけではない。それでも、そこからは「似たもの」が派生する。その「似たもの」には格別もある。その格別は、どこかにたまにはそれを引き当てる者がいる万馬券である。