才事記

合理的な愚か者

経済学=倫理学探求

アマルティア・セン

勁草書房 1989

Amartya Sen
Rational Fools ☆ Choice, Welfare and Measurement
[訳]大庭健・川本隆史
装幀:寺山祐策

社会は市場ではない。意識も市場ではない。
けれども社会にも個人の意識にも、「効用」と「厚生」が必ずつきまとう。
これらは価値社会には欠かせないと考えられてきた。
そのため多くの者が合理的な成果を求めてきた。
しかし、社会と意識と市場が
そんなに合理的にできてきたのかといえば、
これははなはだあやしかった。
それどころか、そこには「合理的な愚か者」が
溢れかえっていたのかもしれない。
「合理的な愚か者」とは誰なのか。何なのか。
今夜は、アマルティア・センの社会学の刃が
社会の常識に向けて切り返してみせた
ケイパビリティによる概念工事を紹介したい。

社会は市場ではない。意識も市場ではない。けれども社会にも個人の意識にも必ずや「効用」と「厚生」がつきまとう。
こういう考え方は価値社会には欠かせないと考えられてきた。そのため多くの者が合理的な成果を求めてきた。しかし、社会と意識と市場がそんなに合理的にできてきたのかといえば、はなはだあやしい。それどころか、そこには「合理的な愚か者」が溢れかえっていた。「合理的な愚か者」とは誰なのか。何なのか。今夜は、アマルティア・センの社会学の刃が社会の常識に向けて切り返してみせたケイパビリティによる概念工事を、少々ながら紹介したい。

誰が「合理的な愚か者」なのか。気をもたせるのもなんだから、最初に結論を言ってしまうけれど、これはずばり「ホモ・エコノミクス」(経済人)のことである。そこらじゅうにゴマンといるビジネスマンや経営者たちのことだ。
ホモ・エコノミクスは合理的ではあるがつるつるで、努力家ではあるが平均的で、勤勉かもしれないが適当なリターンを得たい愚か者なのだ。社会よ、国家よ、企業人たちよ、そんな合理的な愚か者に市場や社会の意思決定を託していいのか。そこを私はとことん問いたい。これがセンが言いたい主旨だった。
センは、合理的な経済活動だけをするルールや価値観に追従する社会人というものを疑った。また、そういう理論を組み立ててきたそれまでの経済学や社会学に文句をつけたかった。そこで本書で「価値をめぐる社会学」に新たな展望をもたらそうとした。なぜ、そんなことを考えたのかといえば、次のようないきさつがあった。

センはインド人である。その故郷がイギリス領だったころの、インド・ベンガルに生まれた。9歳のときの1943年、悲惨なことで当時のマスコミを震撼させたベンガル大飢饉を体験した。この故郷の窮状にショックをうけて、既存の社会や経済のありかたに疑問をもった。
カルカッタのプレジデンシー・カレッジで経済学を学び、ケンブリッジ大学に進んで既存の経済学や社会学の波及に不満と限界を感じた。そのころのアカデミズムでは、アダム・スミス以来の「利己心」とジェレミー・ベンサム以来の「功利主義」と、そして新古典派経済学が提唱した「ホモ・エコノミクス」とがつるつるに固定されたままになっていた。それなのに、それによって動いている資本主義経済社会は麗々しくも「自由市場」とか「リベラリズム」だと思われていた。
いったい個人の自由選択と社会が示す多数の価値観がぴったり合致することなんて、あるのだろうか。それを軽々しく「自由」とか「自由選択」などと呼んでいいのだろうか。どうも疑問だ。デリー大学、オックスフォード大学、ハーバード大学などに教職をもちながら、センはしだいに経済学と倫理学を近づけていって、そのうえで新たな展望による「共感」と「コミットメント」の社会学を考えるようになっていった。

残念なことに日本人はあまりセンを読んでこなかった。「共感」や「コミットメント」の社会学があると言ったって、うまく伝わらない。
むろん日本にもセンについての紹介も導入もあった。主には本書の訳者の大庭健(専修大学教授)と川本隆史(東京大学教授)が精力的にその研究を引っぱってきたのだが、日本人が経済学と倫理学の統合のための試みに関心がないせいなのか、社会福祉学や厚生経済学という学問の潮流そのものに人気がないせいなのか、センの議論の仕方がわかりにくいせいなのか、専門家以外にはあまり読まれていない。
センが書く論文は難しい。文章もうまくない。もってまわったところがあるし、サマライズ(要約)がしにくい。だからなかなか読まれてこなかったのかもしれないが、それでも、センがどのように「合理的な愚か者」を問題視するにいたったかというプロセスは、市場主義者にも反市場主義者にも、つまりはリスクとリターンを新たな局面で考えたい者にも、今日の民主党政権のように「新しい公共」を考えたい者にとっても、見逃せないプロセスだった。

今日の社会は「個人の集合」からなっている。その個人と社会のあいだに、家族や地域共同体や商店街や学校や会社や役所がはさまっている。だから個人の価値判断をなんらかの手法で集めると(たとえば選挙や世論調査)、それらは「社会的な価値観」の構図になるだろうという予測が成り立つ。場合によっては、それが「社会的な意思決定」だというふうにもなる。内閣支持率などはその典型だ。
しかし世間というもの、いまやすっかり大衆に支えられ、その大衆はたいていポピュリズムに傾く性癖をもち、おまけにそこにはマスメディアの解説や扇動もある。どのように個人の価値観が社会の価値観とつながっているのかは、なかなか見えにくい。ましてどこに意思決定プロセスがあるのかは、たとえば最近の普天間基地移転問題がそうであるように、さらに見えにくい。
こういう問題を理論的に考え、そこに数学的な手法を加えながら組み立てようとする「社会的選択理論」(theory of social choice)という専門的な学問がある。最終的には社会的な意思決定がどのように組み立てられるべきかを議論する。ケネス・アローが組み立てた。

社会的選択理論で問題にするのは、個人の利己心である。社会は個人の利己的なふるまいをどう扱えばいいのか。周知のように、アダム・スミスは個人の利己心が、市場においては「見えざる手」によってうまく動くと考えた。
この考え方は一挙に広まった。スミスより20歳ほど若いジェレミー・ベンサムは、個人が快いほうに向かって自己利益を求めることは、市場のみならず、社会全体においても最大幸福につながるとみなして、この動向をベンサム自身の造語によって「功利主義」(utilitarianism)と名付けた。功利主義の見方によれば、利己心は「最大多数の最大幸福」をつくる発端なのである。それまでイギリスではコモン・ローが慣例と判例の基準となってきたのだが、ベンサムは行政と法律の外側にも尺度がありうることを示したわけだった。ここに“計算可能な個人主義”が発露した。
ベンサムの功利主義は、ついでスチュアート・ミルによって自由論や代議政治論に発展し、どんな個人にも、他人に危害を加えないなら何をしてもいい個人的自由があると想定された。やがて自由主義的な個人主義が確立していった。
そのほか、さまざまな考え方がスミスとベンサムの功利的利己主義を出発点にして連打されていったのだが、そのあたりの流れについては1336夜に案内した間宮陽介の『市場社会の思想史』(中公新書)などを参照してほしい。

なぜ功利的利己主義というような個人のちっぽけな行動が集まると、まわりまわって社会という大きなしくみに寄与できるだなんてことになったのか。
こうした考え方の底辺に何があるのかというと、それはかんたんだ。社会が「グッド」や「ハッピー」になるはずだという理念が根強くあったからである。いかに戦争や犯罪や不信がはびこっていようと、社会はそれを理念とするわけにはいかない。やはり善心や幸福を理念としたい。
社会が「グッド」や「ハッピー」になるにはどうすればいいか。仏教なら自分で修行をしなさい、イスラム教ならアラーを信じなさいということになる。老荘思想なら社会のことなどにあまりかかずりあうな、無為自然でよろしいということになる。ところがヨーロッパでは、理念は現実であり、現実の社会は理念を反映するべきものなのだ。「グッド」も「ハッピー」も現実的なアプローチが可能になって、その結果が互いに示しあえるものでなくてはならなかった。できれば、その結果を明示的な数値をもってあらわしたい。
こうしてヨーロッパでは、「グッド」や「ハッピー」を考えて信仰するのが宗教者で、それを社会的な場面にあてはめて推理をするのが知識人で、それを効果的に制度にするのが政治家で、それにもとづいて生産するのがメーカーで、それを商取引するのが商業者たちで、これらを享受するのが民衆だという相場になっていった。つまりはヨーロッパにおいては(いまでは資本主義社会にとってはということだが)、学問とはこれらのための推理の手段を提供し、その可能性があるのかどうかを見極めるものなのである。
というわけで、スミス、ベンサム、ミルたちは、人々の望む善心や幸福というものも、そこに多少の制限を加えさえすれば、おおかたの個人の行為や意思の集積によって実現できるだろうと推理したわけだった。自由の範囲がどこにあるのかも考えるようにしたわけだ。
しかし、ほんとうに個人の利己心の集積が社会の自由になっているのかどうかは、テストしてみなければわからない。信仰だけでも理屈だけでもわからない。まして商取引だけではわからない。とくに世界大戦や金融恐慌や貧困をかかえるようになると、新たな社会的なブレイクスルーの方法が模索されるようになった。
かくして社会的選択理論は、そのテストのための数理的な手段を考えるようになったのである。「グッド」や「ハッピー」を求める行為が数値に向かって明確になっていくアプローチに踏みこんだのだ。

個人の意思や行為を社会に示せる数値的なしくみがあるかといえば、最も典型的には2つある。
ひとつは、投票などによる多数決である。ぼくにとって多数決が気持ちの悪いものであることは、一昨年の暮に千夜千冊した森政稔『変貌する民主主義』(ちくま新書)のところや『国家と「私」の行方』(春秋社)で詳しく書いておいたけれど、しかし一般社会では、「多数決の原理」はめったにゆるがない。いや、民主主義社会では多数決はゼッタイ的なものにもなっていて、個人が社会的に選好や決断を示す強力な意思決定装置として君臨しつづけている。ここでは数がちゃんとものを言う。
もうひとつは、「市場の原理」である。ここでも市場参加者としての個人の意思や行為は(企業参加を含めて)、市場の動向に如実に反映される。こちらはもっと劇的に数の変化が日々あらわれていく。
この2つは、複数の個人の価値判断を単一の社会的な価値判断に仕向けるしくみなのである。両方とも数値によって意思の進んだ道筋がわかるようになっている。だからこそ投票制度や多数決や投資市場は、これまでの社会のなかで大手を振って成り立ってきた。
言い忘れたが、経済学では、このような個人に始まる価値判断の向きとその算定結果のことを「効用」(utility)といい、社会学では、このように複数の価値観が集計された総体のことを「厚生」(welfare)という。社会的選択理論というのは、この「効用」と「厚生」のあいだの関係に分け入っていくものだった。その大成者がケネス・アローだったのである。

アローは『社会的選択と個人的評価』(1951)を書いて、社会的な決定ではたいていは次のようなことが前提になっていると考えて、これらを関数にした。「個人の選好には制約がない(個人の好みは強制されない)。全員一致の選好は社会的決定になる(これをパレート最適という)。多数決もありうる。どこにも独裁が関与すべきではない、どんな意見も尊重されるべきである……」。
アローが挙げた前提要素は、ざっと見ればわかるように、民主的な社会価値をかたちづくっている要素と思われているものばかりだ。ところがこれらを関数(社会的厚生関数)として数式にしてみると、結論は意外なものになった。以上のような民主的な条件が同時に成立することは“ありえない”というものだったのだ。これを社会経済学では「アローのパラドックス」とか「不可能性定理」と呼んでいる。
当然ながら、アローの結論は反響を呼んだ。民主主義の不可能性を数理的に立証したようなものだったからだ。
そこでアローを引き継いだ社会的選択理論は、まずはこの民主主義の完全成立の不可能性を免れる道はないのかという議論をし、それがかなり困難だとわかると、ついではこの結論を別の領域にあてはめたり、比較したりした。この過程で、いわゆる社会福祉学や厚生経済学がさまざまに提案された。
また、アローのパラドックスの限界を調べるほうに向かう研究者たちもいた。その限界を指摘するほうの一群に、アマルティア・センが屹立したのである。

ここまでが、センが社会的選択理論の舞台に登場するまでのあらかたの背景だ。あまり学問のほうに入りこまないように説明したのでわかりにくかったかもしれないが、それでも、すでにセンの前に、「効用」と「厚生」を媒介にしながらも、最大多数の最大幸福をめざすべき民主主義の方程式が喘いでいたことが見てとれる。
センはどうしたのか。先を急いでいうと、センはアローの成果と限界を克服し、そこから新たな展望が見いだせないかというふうに考えた。また、そういう課題を「リベラル・パラドックス」というふうに措いてみた。全員一致の原理(パレート最適)と個人の自由を承認する原理のあいだにまたがるパラドックスである。リベラル・パラドックスが横たわる原因は、はっきりしていた。
パラドックスを生み出している起源が合理的な利己心にあるということだ。この利己心はアダム・スミスが想定した自由に市場に参加するという利己心ではない。市場参入による勝利を想定した利己心だ。だったら、これを疑ったほうがいい。
ここからセンによる「合理的な愚か者」という群像モデルができあがっていった。長らく「ホモ・エコノミクス」として大事にされてきた平均的経済社会人像は、またナポレオン以降のネーション・ステートで集計の対象になりつづけてきた統計的市民像は、ここにべっとりと泥を塗りたくられたのだ。
つづいてセンは、そこには合理ではなく不合理や非合理があるだろうと予想したのだが、こちらはなかなかブレイクスルーが難しかったようだ。センは時間をかけて考えた。その軌跡は本書が1970年の論文から1980年の論文までの幅をもっていることにもあらわれている。しかし最終的にセンは脱出した。このときセンが持ち出したのが「共感」と「コミットメント」だったのである。

センのいう共感とは、自身の利益にまったく関係がなさそうな事態や行動に共感することをいう。たとえば他者の貧しさへの共感、悲哀への共感、不成功への共感……だ。もう一方のコミットメントとは、そのような共感がおこってしまったことを放ってはおけず、そこについついかかわろうとする意思の発動のことをいう。
はっきりした利他性というものではない。「思いやり」ともかぎらない。ふと、やむにやまれぬものが発動しているのだ。それが共感であり、コミットメントなのである。これは、センの乾坤一擲だった。
それにしても、こんな柔らかい概念が社会的選択理論のような数理的な社会学や経済学に持ち出されたのは希有のことだった。これらは、それまでの社会的選択理論からすると、自身の選好や効用がもたらす理論には反することで、スミス、ベンサム以来の功利的個人主義にも半ば対立する。
はたしてこのような共感やコミットメントをもつ社会単位としての個人を、民主主義社会のルールの延長にあるものと見ていいのか、自由論の新しい提起であるとみなしていいのか、そこの議論がはなはだこみいっている。センの論文がわかりにくくなっているのは、このあたりのせいもある。
けれどもセンはあきらめなかった。新たな概念の提出によって切り抜ける。それは「ケイパビリティ」(capability)というものだった。潜在能力というふうに訳されることが多いのだが、そのままケイパビリティと掴んだほうがいいだろう。センは、共感やコミットメントが個人の活動のケイパビリティとして、インターパーソナルに必ずや観察できるはずだとみなしたのだ。ぼくなら、このケイパビリティにコンティンジェントな別様の可能性が待っている、と言ってみたい。

【参考情報】
(1)アマルティア・センは1998年にノーベル賞を受賞した。そのときの推薦理由をケネス・アローがまとめた。①社会的選択のフォーマルセオリーの提案した、②個人の選択と合理性についての矛盾の摘発と橋渡しをした、③社会的政策の明示化した、④不平等と貧困を測定可能にした、⑤分配とその既決についての研究を進めた、⑥社会的厚生の展望を開いた、というふうになっている。

(2)センの著者の翻訳は少ない。本書のほかには、『不平等の経済理論』(日本経済新聞社)、『福祉の経済学』(岩波書店)、『集合的選択と社会的厚生』(岩波書店)、『不平等の再検討』(岩波書店)くらいがあるだけだ。
研究書もまだ少なくて、若松良樹『センの正義論』(岩波書店)、鈴村興太郎・後藤玲子『アマルティア・セン』(実務出版)、田中廣滋『公共選択の経済理論』(中央経済社)、塩野野裕一『価値理念の構造』(東洋経済新報社)、斎藤純一『自由』(岩波書店)、有賀誠ほか『ポスト・リベラリズム』(ナカニシヤ出版)、合意形成研究会『カオスの時代の合意学』(創文社)、大澤真幸『自由の条件』(講談社)などが目立つくらいで、あとは学術誌の論文が多い。本書の訳者の大庭・川本も論文で強力な援軍を繰り出し中なのだ。
なお、文中でいささか気の毒なかっこうで紹介してしまった平山朝治の『ホモ・エコノミクスの解体』(中央経済社)は、他の平山の著作とともに必読だ。中央経済社から全5巻の『平山朝治著作集』が刊行されている。いつかはとりあげたい。

(3)実はセンの「ケイパビリティ」は、このあとのぼくの千夜千冊の隠し玉になっていく。それがどういうものなのかはわざとらしくここでは書かないし、それにはさまざまな「自由論」や「正義論」や「リベラリズム論」を経由する必要があるので、よほど注意深く千夜千冊を辿っていってもらわないと、隠し玉の起爆の場面を見逃してしまうかもしれない。ぜひとも、ご注意を。
ただしひとつだけ、ここでヒントを書いておく。ISISというのは、“Inter System of Inter Scores”ということなのだが、このインタースコアがインターシステムとなっていくところに、実はインターパーソナルなケイパビリティが関与しているわけなのである。あれっ、言いすぎたかな。