父の先見
新しい資本主義
希望の大国・日本の可能性
PHP新書 2009
装幀:芦澤泰偉・児崎雅淑
うんざりしている諸君に贈りたい。
原丈人は、旧弊の社会に新たな可能性を拓き、
IT産業に新たなコア技術の指針を与えている。
ここには、ポストコンピュータ技術と
マイクロファイナンスと公益資本主義とが、
奇跡のように組み合わさっている。
諸君も勇気をもちなさい。
世界を動かす日本人のベンチャーキャピタルは
これから大きな成果を諸君にもたらすはずなのだ。
産業の中心になるはずがない金融業がわがもの顔で世界市場を席巻したことに、原丈人はずいぶん以前から警鐘を鳴らしていた。
IT産業が勃興したころは、ベンチャーキャピタルは技術支援のためにこそ組み立てられていた。原さんがデフタ・パートナーズをつくったのはまさにその時期で、ぼくはその後しばらくして出会った。シリコンバレー、イスラエル、シンガポール、日本のベンチャー、さまざまな大学の研究室の成果などの世界中の新しい技術の萌芽について、何度も夜を徹して議論したのがたいそう新鮮で、おもしろく、こんな日本人がアメリカにいたのかと引き込まれた。
まだシリコンバレー・エフェクトの余波のなか、日米ベンチャーがそれなりの“佳き勇気”を競いあっていた時期だった。
ところが、そういうことはなかなか長続きしない。経済状況と財務感覚がたちまち変質していった。なんだか化け物じみていったのだ。数字でいえば、たとえば80年代はベンチャーキャピタルの投資総額は毎年3000億円以下だったのに、それが2000年ごろには10兆円というとてつもない規模に膨れ上がっていた。脇役であるはずの金融がバブル化し、化け物じみていったのだ。
それでどうなったかとえば、IT企業に必要以上の資金がどこどこ流れこみ、「新しい技術で新しい価値を作る」という当初のベンチャーらしい、多少は義侠心もまじっていた方針は次々に吹っ飛んで、実際に会社で仕事をしている者たちよりも、そこに投資している連中のほうが高いリターンを得るようになった。
一言でいえばIRR(内部収益率)が大手を振ったのだ。これは投資に対してどれほどのリターンがあったかを年率で示す投資側から見る指標だが、これでは同じリターンを得るなら十年よりも五年、五年よりも一年というふうになる。一見、IRRを重視するのはリスク回避として当然のようではあるが、これを会社が実現しようとすると、たちまち短期で儲かる仕事だけをしていくという目先ばかりを追う集団になっていく。経営側のほうでもROE(株主資本利益率)をやたらに重視するようになっていった。
アメリカでベンチャーキャピタリストとして活動していた原さんは、この風潮と動向に疑問をもったのである。長い時間をかけて世界中の企業とかかわって、この「まやかし」に挑戦することにした。
ROEは株主の投資に対してどれだけのリターンがあったかを示す指標だ。ネットバブルがはじけた反省から急にやかましく言われるようになった指標だが、ROEを重視しすぎると株価がもっぱらROEにくっついて連動することになり、経営者は短期に株価を上げないと評価されないようになる。
そのため、多くの経営陣はストックオプションの権利を付与されていたので、自分が経営トップに在任している数年のうちに株価を上げることばかりに注意が奪われていくようになった。呆れるほどの高収入になったCEOも続出した。
この趨勢は、もともと短期で株価を上げたがっているファンドマネージャーたちの思惑とぴったり利害が一致した。そこでCEOたちは資産を圧縮するなどしながら財務諸表を化粧なおしして、短期的にROEを上げ、株価に結びつけるようになった。こんな悪しき流行を見ていた原さんは、研究開発にまともに取り組めば「それが売上と利益を生むには最低でも7年から10年がかかるはず」なのに、このままでは本気のベンチャーは絶対に育たないと見た。
加えて、こういう風潮に「金融工学」がぴったり寄り添った。金融工学は「参入障壁のない完全競争市場」を架空の前提にした経済学をバックに組み上げた“擬似サイエンス”とでもいうもので、すべてを数式と数値であらわして、投資家たちが群がるリスクヘッジの理屈を作り上げた。
むろん実体経済の価格の乱高下を平準化させるといった方面では、それなりの有効性をもつことはあるだろうけれど、これが経済一般・金融一般にあてはまると思いはじめたとたんにとんでもないことになる。
なぜならヘッジファンドの理屈では、企業価値は時価総額なのである。その時価総額を決めるのがROEだから、企業価値は「1株利益÷1株当たり純資産」で決まる。しかも、これを向上させるのが当該の経営陣の至上命令になるのだから、それにはこの方式を使えば「資産を小さくすればいい」というふうになっていく。このようなロジックでは内部留保をためるより、それを配当金として分配したほうがいいということになるからだ。
リスクの高い研究開発を持続的に展開する企業では、主な資金の調達方法は、そんなにない。①金融機関からの借り入れ、②現行株主立てする株主割当増資、③内部留保、の3つくらいだ。
このうち①の方法は借入金が返せなくなったら研究開発が止まるのだから、ベンチャーには難しい。銀行もかんたんに応じない。②の株主割当増資は短期のリターンを望む株主が多ければ、そういう連中に資金を出してもらうことを説得するのに時間がかかる。となれば、③の内部留保こそが大事になるのだが、これがなかなか理解されないようになってしまったのだ。会社の「ダム」を作っておくことが一番大事なのに、そこにお金がまわらなくなってしまったのだ。
こうして原さんはさまざまな工夫と戦略を練ることになる。たとえば、欧米の市場モデルばかりに気をとられていないで、「五年以上株式を保有する株主だけが取引できる市場」をつくりなさいというふうに。
原丈人がデフタ・パートナーズを設立したのは一九八四年だった。デフタはいまは世界的な事業持株会社のグループになっていて、現在、原さんはその会長だ。日本事務所は八重洲通りのビルにあるけれど、原さんはめったにいない。のべつ世界中を駆けめぐっている。
出会ったころは、シリコンバレーの片隅で気炎をあげる一介のベンチャーキャピタリストだった。しかし、早くからその名が知られていた。ぼくはいったい誰に紹介されて出会ったのかちょっと思い出せないのだが、おそらくは日経新聞の楳林さんという記者だったのではないかと憶う。
そのころぼくは、稲盛和夫さんと樫尾忠雄(カシオ計算機)さんの推薦で、日経のベンチャービジネス交流センター(VBC)の纏め役のようなことをしていた。「VBC通信」というメディアの編集も引き受けて、月に一度、800人ほどのベンチャー経営者の会員のうちの200人ほどずつが集まる会合にも出ていた。これは奇妙な体験だった。何百枚もの名刺が交換される異業種交流会というものも、そのとき初めて観察した。
それまで企業経営者群などと出会ったこともないぼくが、なぜ日経からそんな大それたことを頼まれたのかというと、1985年の筑波科学博で「テクノコスモス」というベンチャーパビリオンを演出したとき、その参加企業だった京セラの稲盛さんに気にいられたせいだと思う。気にいられたのは、きっと量子力学と意識の関係の話をやたらに詳しくしたのと、稲盛さんの意向に適う科学博のパビリオン演出をしたからであって、それ以上でもそれ以下でもない。
それはともかく、当時の日経は「スモールビジネス」とか「地域経済」という紙面をもっていたのだが、それを一挙に「ベンチャービジネス」というタイトルに変更するにあたって、VBCを立ち上げると決め、そのために稲盛さんに相談したらしい。
稲盛さんに相談したのは当時の日経の編集局長だった樋口剛さんで、その樋口さんがたまたまぼくの九段高校時代の先輩だった。そんなつながりで日経のベンチャー担当記者が原さんをぼくに紹介したのだろう。
原さんは体は小さいが勇気が漲っていて、太いものに巻かれるのが大嫌いである。当然に負けん気も強い。学生時代からの考古学の学究者でもあったから、たいていの歴史にめっぽう詳しい。総じて探求心が抜群に旺盛である。
そんな気質の持ち主だったせいか、日経の仲人のせいだったのか、最初から互いに妙に気が合った。かなりいろいろなことを話した。やっとパソコンが世に出回りはじめた時期のことで、原さんはそのころからつねに斬新きわまりない経済社会についての発想と、それにもとづく才能と技術に関する実験と体験を重視した。「知的工業」とか「知的工業製品」というコンセプトを当時から打ち出していた。
ぼくにもさかんに「松岡さんのような考え方に資金が投入されるべきだよね」と言ってくれた。「へえ、考え方に対しても投資ってあるんですか」と無知を承知で訊いてみたところ、破顔一笑、「当然でしょう。ベンチャーは考え方から始まるんですから。ファウンダーの知能にこそ投資すべきなんです」と言われてしまった。そして「担保をとらないと資金を融通しない連中は、たんなる金儲け屋ですよ」とも笑った。
金融機関にまったく疎かったぼくは、これは世の中には知られていない“秘密の花園”の話かと思ったほどだ。
しかし原さんは本気だったのである。実際にもNTTの株の売却益で組まれた先端技術基盤センターから資金を引き出して、ぼくの編集工学に役立てようとされたこともあった。もっともこれは書類が不備だったため審査であえなくはねられた。そのときも原さんはこんなことを言った。「日本はね、まだリスクキャピタルのことがわかっていないし、アーリーアダプターがいませんねえ」。
アーリーアダプターというのは、アントレプレナー(発見型起業者)がつくった新しいコンセプトにもとづく製品やプロジェクトを他に先駆けて買ってくれる人のことをいう。原さん自身がアーリーアダプターなのである。
その原さんが『21世紀の国富論』(平凡社)を書いたときは万歳だった。
この本は本書の前身にあたる本である。冒頭、2000年秋にアメリカでネットバブルが崩壊したのは、B2BやB2Cのビジネスモデルを支えるのに必要な技術が未完成であったにもかかわらず、新たに産業をおこそうと暴走したせいだった、というところから記述が始まる。
そのあと、時価会計主義と減損会計の問題点、ベンチャーキャピタルがただの金融業になってしまった理由、1989年のベルリンの壁崩壊をもって「資本主義の勝利」だなどと思いこんだ市場主義者の限界、ビジネススクールの弊害、株主至上観の決定的誤り、ヘッジファンドが価格を歪める力をもちすぎた原因などを次々に血祭りに上げ、そのうえで、公開企業はストックオプションを廃止するべきだ、ヘッジファンドの有害になるファクターを除去する新たな競争のルールを作るべきだ、株式交換を用いた三角合併を食い止めるべきだ、リスクキャピタルには税制優遇措置を組むべきだ、といった提言を連打した一冊になっている。
しかしここまではイントロだったのである。ここから先に書いてあったことは、本書にも重ねて強調されているところでもあるのだが、「公益資本主義」の提案となって、とびきりに新しい。注目すべきは次のような点にある。
いま多くのIT産業はサービス化に向かい、アマゾン、グーグル、楽天のように“消費者化”している。それでは知的工業製品を下敷きにした新たな産業社会はつくれない。いつまでも現在のコンピュータ主義が続くとは考えないほうがいい。
現在のパソコン・ネットワーク社会は、P2P(Peer to Peer=ピアツーピア)のクライアント・サーバ方式でできている。ネットワークにつながっている成員のすべてがサーバとクライアントの両方の役割を果たすように、P2Pが成立するようにつくられている。これが現在のインターネット技術の基礎である。
この基礎にもとづくコミュニケーションを可能にしているのは、オラクルに代表されるリレーショナル・データベースだ。RDBと略す。エクセルの表のようなテーブルの集合をつくっておいて、それらのテーブル間の関係を定義することでデータを管理するDBだ。これにはけっこう複雑な処理が必要で、少しでもデータ構造を変えようとすると、たいへんなコストがかかる(だからオラクルは儲かっている)。RDBは構造に柔軟性がないのだ。オラクルも、インフォミックスも、サイベースも硬い。その後に考案されたデータウェアハウスも同様だ。
では、どう考えればいいか。ひとつは、このRDBに代わるものを技術開発すべきなのである。候補としてオブジェクト指向データベースがあげられるが、これは早くから開発されてきたにもかかわらず、市場に受け入れられなかった。パフォーマンスが低かったのと、デファクトスタンダードになっていたRDBとの互換性がなかったせいだった。最近ではXMLとの絡みで少しは改善されている。XMLは拡張可能マークアップ言語のことをいう。
もうひとつは、ここが原さんの大胆な提案になるのだが、現在のパソコンを次世代のものにしてしまうということである。
現在のパソコンを支えている3つの技術は、マイクロプロセッサ(インテルが代表)、オペレーティングシステム(マイクロソフトが代表)、クライアント・サーバ型リレーショナル・データベース(オラクルが代表)の3つで、これが三種の神器になっている。
このようなパソコンは相互コミュニケーションのために発想されたのではなく、計算と情報処理を高速にパーソナルにできるようにして、つくられてきた。だから本気で自分で情報や知識を編集しようとか、相互の編集環境をつくろうとすると、かなりの工夫を加えてカスタマイズしなければならない。ハードとソフトが分断されているためだ。
のみならず、このようなパソコン・ネットワーク産業では、ハードは粗利率が低いため、キャピタリストからすると投資がしにくくなっている。そのため勢い、パソコンサービス型の産業のほうに金融の目が向いてきた。三種の神器にもとづく産業は、市場を偏ったものにもしてきたのである。日本はとくにここに追随した。
これに対して、原さんは「PUC」を構想する。「パーベイシブ・ユビキタス・コミュニケーション」だ。コミュニケーションのためのシステムである。これは「ハードとソフトを分けないポストコンピュータ」の未来像である。原さんのデフタ・パートナーズは一九九六年から、このPUCに特化した投資をおこなっている。
PUCを産業の基盤に乗せるには、当面、6つの新技術の開発が必要とされる。①マイクロプロセッサに代わる次世代プロセッサ、②組み込み型ソフトウェア、③新たなP2Pネットワーク技術、④ネットワーク・セキュリティ技術、⑤ソフトウェア・スイッチング技術、⑥デジタル・ディスプレー・コントローラ。
①は計算ではなくコミュニケーションに特化したDSPチップ(デジタル信号処理プロセッサ)、②はハードと統合されたソフトウェアで、ウィンドウズのような大きなものではなくずっと小さくなるもの、③は新たに考案されつつある「インデックス・ファブリック理論」にもとづいて開発される、④はそのためのセキリュティ技術、⑤は中継用交換機の機能をIP網とその上のソフトウェア処理で代替するもの、⑥は動画像を処理する半導体技術によるデジタル・ディスプレーである。
このうちの③の「インデックス・ファブリック理論」が独創的で、ぼくからするとすこぶる編集工学的なのである。
コンピュータ処理のうえで、属性が固定的なデータを「ストラクチャード・データ」という。これを高速に処理するのがRDBである。
属性の下位の分類がいくつもの階層構造をもつデータ群を「セミストラクチャード・データ」という。RDBはこの処理がからっきしヘタくそだ。しかし、われわれの知性や読書体験はこの傾向をこそもっている。たとえば1000冊の本の目次群はセミストラクチャード・データ群になっている。固定的に構造的なのではなく、半構造的で、柔構造的なのである。なぜなら「意味」という属性を扱うからだ。
さらに属性がうまく定義できないのに、実際にはすばらしい機能を発揮しているデータ構造をもっているものがある。たとえば遺伝子のDNA配列やタンパク質のアミノ酸構造である。脳もそうである。いや、生命システムの多くの機能がそうなっている。こういうデータ群を「アンストラクチャード・データ」という。これにはRDBはまったく歯が立たない。
これまで、バイオ新薬の発見技術、コンテンツの編集的獲得プロセス、画像コンテンツの検索、理想的なカーナビ、安全かつ使い勝手のいいeコマース(電子決済システム)技術、個人の体調に合ったテーラーメードの薬の確定、原産地から流通プロセスまでを知るトレーサビリティ(追跡)技術、本人の特性を理解する秘書技術……などなどといったものは、以上のデータ属性をさまざまに組み合わせる必要があり、なかなか一筋縄ではいかなかった。
これを解決しようというのが③のための「インデックス・ファブリック技術」というものだ。略して「IFX」という。
原さんはこの発想のための理論に、イスラエルのテルアビブで出会った。劇的だったようだ。ぼくはその直後の興奮を、原さんからいろいろ聞いたことがある。IFX理論はその後、2001年9月のVLDB(超大型データベース)学会でも発表された。独自のツリー構造でインデックス(目次・目録)を構成し、これを柔らかい半構造データにするための理論である。
IFXがどのようになっていくかは、いまのところ「おたのしみに」と言っておくのがいいだろう。ぼくはそもそも編集工学がもっているエンベッド(組み合わせ可能)な技能観ときわめて相性がよさそうなので、実はある計画との擦り合わせを考えたいと思っているのだが、それも今夜は「おたのしみに」と言うしかない。ちなみにエンベッドな技能観とは、「アソシエーションによる編集技術」のことをいう。
ともかくもこのように、原さんはポストコンピュータ時代を想定して、そのコア技術になりうるべきものを世界の技術から組み合わせ、そこに投資しようとしている。株価を維持したり上げようとするだけの企業や企業合併などには目もくれていないのだ。
一方、本書には「新しい資本主義」のために「公益資本主義」という方向が必要になっているという提案が、いくつもなされている。
現在、世界にはLDCとみなされている国々がたくさんある。後発発展途上国のことだ。LDCは一人あたりGNI(国民総所得)が750ドル未満、50パーセント以下の識字率、高い幼児死亡率、経済的脃弱性などに喘いでいる。国連の判断では四九ヵ国にのぼる。
原さんは、これらの根底に「教育」と「医療」の問題があると見た。この二つの分野に最新テクノロジーをエンベッドしたシステムを考えたらいいのではないか。こうした国々こそが、二一世紀の最も発達したテクノロジーを導入できるようにするべきだというのだ。
そこで、バングラデシュの最大のNGOであるBRAC(バングラデシュ農村向上委員会)と組んで、農村部の貧困層のためのマイクロクレジットを組み合わせた教育、技術訓練、保険プログラムを発進させるためのbracNetという会社を立ち上げた(BRACが40パーセント、デフタが60パーセントの出資)。2005年の秋だ。まずワイヤレスブロードバンドのインフラ整備から始め、2008年にはその成果をいかして固定電話会社を吸収した。
この会社の特徴は、利益の40パーセントを教育と医療に使えるような仕組みになっていることにある。おかげで収益の40パーセントを得るBRACは、おまけにNGOなので非課税部分が大きく、これを教育や医療の活動に充てられるようになったのである。
LDCは貧困とともに飢餓にも喘いでいる。ここにはまさに「栄養」が必要だ。原さんは「スピルリナ」という高タンパクの藻を原料とした栄養供給システムを提案した。スピルリナをLDC各国に普及させるためのスキームを国連とともにつくり、原さん自身が国際機関の特命全権大使となって、スピルリナ・プロジェクトを推進していった。日本でもコクヨ、ロート製薬、大日本インキ、三井不動産などが協賛し、すでにザンビア、ボツワナ、モザンビークなどでその試みを開始した。
これらは、株主資本主義や時価会計資本主義に代わる公益資本主義への第一歩の試みである。夢物語なのではない。飢餓とコア技術とマイクロファイナンスとは、決して別々のものではなかったのである。
以上、ここに紹介したのは、原さんがとりくんでいる現状のごく一部にすぎない。話してみるとすぐにわかるが、この人は真剣で斬新な話題でありさえすれば、どんな領域のことでも猛烈な好奇心によって対応する人なのだ。
よくぞこれだけ多領域の仕事をこなしているなと感心するけれど、しかもよくぞ毎日のように世界を動いているなと思うけれど(ケータイに電話を入れると、たいていトランジットしている)、最近思うのは、そこには「日本」への強い愛着があるということだ。
今年、日経ホールでの経済フォーラム(日本と東アジアの未来を考える)に呼んで話をしてもらったときは、アジアの新たな産業を日本の資金と日本語によっておこすべきで、そのためにはアジア人に日本語をおぼえてもらうべきだと言っていた。隣りにいたローソンの新浪剛史社長が、「そういえば今年のローソンの売上ナンバーワン店のスタッフは中国人の女性たちでした」と話を合わせていた。原さんが言いたかったのは、従業員にアジア人がふえるといいという話ではない。日本流がとびかうアジア産業が必要になっているということだ。
2010年5月13日開催 日本経済新聞の記事
(1)原丈人は1952年の大阪生まれだ。父上はコクヨに縁が深く、ぼくが会うときはいつも和服を着ている。デフタ・パートナーズの日本事務所に行くと、父上が作成した機関車の模型が置いてある。阪神大地震で壊れた鉄道模型をすぐに作り直したほどの“鉄爺”なのである。当然、子供も“鉄男”になった。ただし、自分で動きまわる鉄男クンだ。
鉄男クンは慶応大学の法学部の出身で、大好きな考古学研究のために中央アメリカに渡った。夢はハインリッヒ・シュリーマンのようになることだったが、自分がめざしたい考古学の発掘には莫大な資金がかかることを知った。そこで、スタンフォード大学の経営学大学院に進み、ここで事業計画書の作り方を学んだ。考古学や鉄道に必要な光ファイバーを素材に映像システムを解発する会社をおこすという計画書だった。
計画は机上のものではなかった。資本金60万円を用意して技術開発に取り組もうとした。が、技術者を雇うには高額の報酬が必要だと知って、自分自身でエンジニアの資質をつけないといけないと決意して、工学部に入りなおした。本気で光ファイバーによる超大型ディスプレー開発のための技能を学んだのだ。当然、関心は製造技術や管理工学にも及んだ。
かくて1981年、光ファイバー・ディスプレーのための会社「ジーキー・ファイバー・オプティクス社」を設立、製品がディズニー・プロダクションに採用されたこともあって、従業員50人ほどの会社に成長した。キャッシュフローがピークになった1983年、会社を売却すると、鉄男クンはここで得た資金を元手にベンチャーキャピタリストとして、いよいよ資本主義市場と産業技術に挑戦する冒険者になることにした。未知を考古学することにしたのだ。
(2)原丈人はいま、デフタ・パートナーズ・グループの会長である。デフタ・パートナーズは1985年に設立したのち、オープラス、トランシティブ・テクノロジー、ボーランド、ピクチャーテル、トレイディックスなどに技術投資して、これらすべてを成功に導いた。
その一方で、ぼくもときどき呼ばれたのだが、財団のアライアンス・フォーラムを早くに立ち上げ、多くの技術と産業と人とを結びつけ、真新しい技術や哲学や組織観を披露しようとする者を応援しつづけている。
ぼくにとっては旧知の異人であり、最初から瞠目すべき才能と行動力を発揮していたと思えるのだが、日本がこのような原丈人に注目しはじめたのは、やっとこの数年のことなのだ。ニッポン、遅すぎるよね。