父の先見
黙阿弥の明治維新
新潮社 1997
黙阿弥は文化文政期に遊蕩な少年時代をおくって勘当されたものの、貸本屋好文堂の手代(てだい)に入りこんで暇を惜しんで読書に励んだのが、結局は後世の戯作者としての下地をつくった。
20歳で葺屋町市村座に作者見習いになり、いっときは雑俳点者などしているが、小柄の七代目団十郎に認められたあたりから俄然意欲が出ている。河原崎座が猿若町に移転したのをきっかけに、28歳で二代目河竹新七を襲名して立作者となった。
黙阿弥については、大正時代に刊行されてのちに創元選書に入った河竹繁俊の伝記『河竹黙阿弥』を、歌舞伎狂いの父の本棚に見つけて読んだのが最初で、その後はまったく関心をもたなかった。ところが、あるとき小島政二郎の三遊亭円朝伝を読んだころから明治時代の講談落語のつくりかたに色気が出てきて、いつかは黙阿弥がどのように近代社会のなかで歌舞伎の脚色にとりくんだのか、そこを知りたくなっていた。
今日、歌舞伎語りでは他の追随を許さない第一人者の地歩をきずいた渡辺保による本書は、ぼくが期待したよりは「歌舞伎の近代」を描いていないのだが、そのぶん黙阿弥自身の近代的人間像の矛盾が描かれていて、そこがじわじわと伝わってくる。
たしかに黙阿弥の明治というものは、江戸と開化の折衷なのである。そこを突破するには淡島寒月から幸田露伴への江戸西鶴の真骨頂の引導まで待つしかない。あるいは荷風にまで視座を譲るしかない。黙阿弥にはそれは無理だった。渡辺保はそこを綴ろうとした。その方法はまさに“正解”だったのだ。本書が読売文学賞を受賞したのもその視点が評価されてのことだったろう。
次は誰かが坪内逍遥や島村抱月を離れて「川上音二郎の明治」を書くべきである。