父の先見
日本人と中国人
集英社文庫 1984
陳舜臣のものは食わず嫌いだったような気がする。それがいつのまにか嵌まった。
たしか『青玉獅子香炉』を読んで嵌まったような気がする。故宮博物館の文物疎開をあつかった香り高い話であった。直木賞の受賞作だった。
その後は、著者の中国ものをいろいろ読むことになったのだが、そのうちの初期に読んだ『小説十八史略』などは、なんだか中学生のときに三国志に夢中になったような気分にさえさせられた。
むろん何でもがおもしろいわけではなく、たとえば空海を描いた『曼陀羅の人』などはつまらなかった。が、中国ものはだいたいうまい。われわれが知らないことがさすがに突きとめられている。著者の名を高らしめたアヘン戦争についての小説やエッセイは、とくに考えさせられた。
この本は昭和46年にノンブックスの一冊として刊行されて、話題をよんだ。
イザヤ・ベンダサンこと山本七平の『日本人とユダヤ人』の大ベストセラー化にあやかって、おそらくは編集者がもちこんだ企画だったのだろうとおもうが、それを陳舜臣はまことにうまく料理した。
うまく料理しただけではなく、まえがきに「あとで嗤われるかもしれないのに、私はあえてこの本を書く」という決断にも満ちている。当時、日本人を中国人から比較してみせて、その限界や特質をはっきりさせるなどという試みは、まったくなかったからである。まして中国人の特質を簡潔に言い当てるなど、当時の日本人には至難の技だった。なにしろ文化大革命が失敗してまもなくの状況だったのだ。
いろいろなことが書かれている。
たとえば、無礼講は日本にあって中国にない。中国人は他人に見えるところで食事をしたがる。中国人はカタログ・マニアで、日本人は保存したがりである。日本よりも中国のほうが格段にメンツ(面子)を重視する、すなわち徹底した形式主義である。日本は役に立つものをすぐ入れたがるが、中国では実用性だけでは文化をつくらない。ようするに新しいものを入れるのについて、中国人は慎重すぎる、つまりは用心深い。日本人は気心を知ることを重んじるが、中国人は説得を重んじる。
まあ、こういったことがいろいろ列挙されている。列挙されているといっても、文脈がちゃんと展開されていて、そのなかで議論されているといったほうがいい。
けれども、これらのことはそれほど重要なことではない。民族のちがいや習慣のちがいなど、どんな民族間にもあるものだ。そういうことばかりに注目しすぎると、日本人は顔を拭くのにタオルを動かすが、中国人は顔のほうを動かす、ええっ、ホントー? ウッソー! ということでおわってしまう。
著者が言いたかったことは、このようなオモテに見える両国の特徴のことではなく、日本と中国は意外なほどに相互理解をしてこなかったのではないかということなのである。
ただし、なぜそのようになったかということは、本書ではあきらかにされてはいない。その問題はわれわれが考えるべきことであるようだ。
ところで、中国人による日本論というものは、驚くほど少ない。
最も有名なのは黄遵憲の『日本国志』『日本雑事誌』と戴季陶の『日本論』あたりだろうが、これとて1887年と1928年のものだった。黄遵憲は明治のはじめに日本に来た清国公使館の書記官で、詩人でもある。
後者を書いた戴季陶は、16歳で日本に来て法政大学に学び、のちに孫文の秘書と中日通訳をつとめた。宮崎滔天が「日本人より日本語がうまい」とほめたほどの日本通だった。
それ以来、充実した本格的な日本論は書かれていないのである。やっと最近になって日本文化論や日本史論が出てきたばかり。どうもこのへんの日中事情には、かなり急がなければならない問題がはらんでいるようだ。