父の先見
オブジェ焼き
講談社文芸文庫 1999
八木一夫にこのようなタイトルの著書はない。八木が生前に出版したのは『懐中の風景』と『刻々の炎』の2冊だった。そこから随筆を選んで組なおしたのが、本書である。
よく編集されているが、その随筆の感想を言う前に、ぼくが八木一夫の実物を見たときの話を先に書いておく。大阪のカサハラ画廊で開かれた「いつも離陸の角度で」という個展だった。そのとき脂の乗りきった八木は59歳で、黒陶を見せていた。
1977年のことである。病状が悪化していた稲垣足穂を見舞った足で大阪まで行ったものだ。行ってみて、驚いた。何も表現していないのだ。まるでモノリスである。しかもそれは、八木のモノリスだった。
それまで、ぼくは八木の作品を、二、三の代表作を近美あたりで接していたのを除くと、大半を写真ばかりで見ていた。走泥社の活動もだいたいは知っていた。そして、そこにつねに前衛の作意というものを感じていた。どちらかといえばムーアやブランクーシの陶芸的延長か、さもなくばクレーやエルンストの複眼的単純化とでもいうものだ。
ところがカサハラ画廊の黒陶は何も表現していない。まったく何も作っていない。どうもブランクーシでもないし、エルンストでもない。これは早々に八木のさまざまな作品をこの眼で実感しなければ、早く会いに行かなければ、とそのとき思ったのだが、それから2年もたたずに、八木はあっというまに急逝してしまった。
あれから30年、ぼくは十数度にわたって八木を見つづけた。
八木は本書の中の「原始への随想」で、八木自身の原点を告訴することを書いている。
この随想は原始的な土器や陶器や木器にはすばらしいものがあるという内容で、そこまでは岡本太郎をはじめ誰もが気がつくことなのだが、八木はその原始的な器には「つくりもの」というのではなく、「できごとのように、おのずと生まれ落ちたもの」があると書いている。
これは八木による八木一夫の原点の告訴である。そうなのだ。八木の陶芸は「できごと」なのである。「生まれ落ちたできごと」なのだ。そのようにしたかったのだ。
八木一夫は京都清水五条坂の陶芸家の長男として育った。
清水五条坂などというといかにもアンノン風の"陶芸坂"っぽいが、京都では八木さんのことを馬町の人とよんでいた。ぼくの父も母も、父君の八木一艸さんの知り合いだった。
その八木がどのように陶芸遍歴をしてきたかは、本書の「私の陶芸誌」にも書いてある。最初は茶陶を焼いているが、やがて朝鮮のものに惹かれている。走泥社(昭和23年結成)の山田光は中国、鈴木治は日本、八木は朝鮮だった。が、まもなくそういう"原郷"にとらわれなくなっていく。そこからが「オブジェ焼き」である。ブランクーシやクレーの感覚が焼き締められた。カフカを焼いてしまった「ザムザ氏の散歩」は陶芸界の事件にすらなった。
しかし、八木は「オブジェ焼き」の背後で「できごと」を考えていたようだ。
李朝白磁の白の意味、琳派の余白の金の意味、煎茶や煎茶器がもつ繊み(ほそみ)の意味、青木木米にして届かなかったあることの意味、「窯ぐれ」や「写し」が巧まずして捻り出すものの意味、等々。本書を読んでいると、八木がそういうことを終始考えていたことがよく伝わってくる。
こうしてしだいに八木は「できごと」という器物の根源に向かっていった。
いったい「できごと」としての器物はどういうものかというと、これを「器胎」といったらいいとおもう。
器そのものの形や色や風合だけを問題にしたのでは「できごと」は見えない。おこらない。八木も書いているが、そこには「できごと」とともに「待ちうけるもの」がなければならない。これが「器胎」というものだ。
このことは、そもそも「ウツワ」という言葉を日本人が選んだその時点から生じていた思想なのである。「ウツ」なる空洞なるものがその中に何かの到来を待ちうける。これが日本のウツワの本来である。そのウツワから「ウツシ」が派生する。ウツシは「写し」であって「移し」であり、また「映し」であった。どうやら八木はそのあたりを考えめぐらした。
八木一夫は、工人として今日の日本を読んでいた。日本の混乱を読んでいた。
そして、すでに解答にも達していた。たとえばのこと、柿右衛門手の色絵磁器と鍋島の染付の、どちらに日本を選ぶのか。そういう結着をつけていた。こんなことははっきりしていることだが、おそらく今日の日本人にはまったく見当もつかないことだろう。
そういうことをしていた工人は八木だけではない。本書にたびたび出てくる河井寛次郎もイサム・ノグチも石黒宗麿も、また八木一艸さんも、そんなことは見抜いていた。
が、それがいまのアーティストやクリエイターという横文字諸君には、伝わってはいない。八木が影響を与えた「パンリアル」の日本画(三上誠・大野秀隆・下村良之介)が見えてはいない。鍋島の染付がわからない。
アーティスト諸君、もう一度、河井寛次郎や八木一夫やイサム・ノグチに戻ったほうがいいのではないか。