父の先見
型の日本文化
朝日選書 1984
縞の話から書きおこしている。伊勢型紙の縞彫の名人の児玉博は、一寸幅の糸入れに31本を彫ったという話だ。
縞柄には「きまり筋」「変り筋」「養老」「立湧」(たちわく)の基本4種類があるのだが、その「きまり筋」では一寸幅に10本か11本の縞を引く「大名筋」から24本以上を引く「極(ごく)二ツ割」までの常法がある。それを31本まで入れたというのだ。糸入れは細かい縞柄や小紋では柄が浮くので、地紙のあいだに糸を入れることをいう。そのための極細の絹は春繭に限られる。息をつめる仕事だ。
縞はもともと「島もの」に由来する。セント・トーマス島の桟留(さんとめ)縞、ジャカルタのジャガタラ縞、ベンガルのベンガラ縞などの輸入ものを、江戸の型紙が洗練していった。「島からの渡りもの」が日本独自の模様になったのだが、そこには型紙が生きていて、それが「粋」をつくった。「縞は上田島、糸織縞、紬縞、唐桟が主」と書いたのは『守貞漫稿』である。九鬼周造は「いき」の真骨頂は縞小紋にあると言った。柳宗悦は「縞こそは織かが与へる一番原素の模様だと云っていい」と書いた。
縞は江戸文化が日本の近世になって創造した新たな「型」の模様文化なのである。歌舞伎でいえば、『大口屋寮』の三千歳(みちとせ)、『源氏店』のお富、『お祭佐七』の小糸の縦縞である。ここに花柳章太郎の当たり狂言『明治一代女』の大川端殺しの場面のお梅の赤大名を入れてもいい。
すべての染めものの模様や文様は型紙から生まれる。型紙は京都のように近くに図案屋も織屋も染屋も呉服屋もあって、それらが親密に重なりあっていれば、それほど目立たない。型紙は水面下で地味な役割を担うにすぎない。
しかし伊勢のように、近くにそのような同業関連の職人が少なかった地域では、型紙そのものを商いとする姿が出てきた。白子や寺家といった伊勢地方の村ではとくに型紙商人が発達して、近世には「型屋株」をもって仲間となっていくネットワークを広げていった。
型紙には楮(こうぞ)の生漉(きずき)和紙をつかう。手漉の和紙は繊維が同じ方向になっているので、これを縦横になるように2、3枚合わせる。貼り合わせには柿渋をつかった。信濃柿や会津の小柿が一番だという。
こういうこだわりは職人には欠かせないものだが、「型」というものを守るためにも欠かせない。「型」とは技法を変えないことによって守られるものでもあるからだ。
型紙のような動かない型がある一方、踊りや相撲や礼儀のように動く型もある。体がおぼえる型である。本書は雑文を寄せ集めたようなもので、文章もよくないし、味もばらばらなのだが、そうした動かぬ型と動く型には執念をもって眺めているようなところがあって、読みづらい文章の奥には、日本の型を頑なに守りたいという意志がよくあらわれている。
動く型では、清元延寿太夫の芸談や松本さたの京舞の話を多めにしているのだが、これらはぼくも何度か書いてきたので省くとして、なかで新橋のまり千代に話題を広げているところが印象に残った。
昭和49年に「東(あずま)おどり」の中止が発表され、安田武はそれがショックでしばらく立ち直れないでいるのだが、その次の年には「菊村」の女将の篠原治が長逝し、続いてまり千代ら6人の芸者が引退してしまった。そこで、まり千代にいろいろ話を聞くという段取りになったという話である。
橋本明治の『まり千代像』で有名なまり千代は、大正9年に泰明小学校を卒業してすぐに半玉としてお座敷に出て、15歳で一本になった。大正14年に新橋演舞場が完成するとともに「東おどり」がはじまると、まり千代は藤間政彌について踊りに精を出すようになった。『浅妻船』だけで一年を通したこともあるという。
戦後は「東おどり」といえばまり千代で、ぼくの父もまり千代が常磐津の地で『式三番叟』を踊るというだけで東京に泊まりに行ったものだった。『式三番叟』といえば別火物忌みして披(ひら)くもの、さすがのまり千代も、そのとき振付を担当した尾上菊之丞にこってり絞られたという。いっそぶっ倒れてやろうかと覚悟したらしい。昭和28年のことである。
まり千代もそのことを言っていたそうだが、「東おどり」が潰れたのは新しいものに目移りがして、粗雑なものをやりすぎたからだった。昭和35年には谷川俊太郎の作詞に杵屋六佐衛門が曲をつけ、これに花柳寿輔が振付をした『巣立ち』という演目が披露されたそうだが、ビブラフォンやカスタネットなどが加わって、それはそれはひどいものだったという。「約束」や「型」を忘れると、こうなるときがある。
これはぼくもときどきお目にかかって、いつもうんざりしてきた。こんなことを言っては悪口になるけれど、谷川さんはこういうことをしないほうがいい。こういう作詞は西条八十や久保田万太郎でなければいけない。だいたい新橋芸者の真骨頂は「しんしん新橋色の街、こんこん金春恋の街」でなければ、いけない。西条八十がとっくにこう歌っていた。
恋の新橋 浮名の銀座 粋とモダンの裏表
ジャズの酒場を ヤーレヤレソレ そって抜け
仇(あだ)な音(ね)じめを 風だより
しんしん新橋 色の街 こんこん金春 恋の街
この洒脱というのか、この曖昧というのか、この苦界(くがい)のスノビズムというのか。モダンもジャズもいいけれど、そこにヤーレヤレソレや音じめが交じらわなくては、困るのだ。金春とは新橋の俗称である。金春湯があった。そのことについては第369夜に喜春姐さんの話とともに書いておいた。
ところで本書には、新橋の話のついでに、吉田健一が銀座資生堂について、「銀座ではどこより資生堂が好きだが、ここにはヨーロッパというより東洋的なるものがあるのがいいのだ」と横光利一に語っていたという話が紹介されていて、これはなるほどと首肯した。いま新しく建った資生堂パーラービルは、そう言っちゃ悪いが、そのへんのことがどうもわかっていない。外観はいいから中を変えたほうがいいだろう。
もうひとつついでに注文を書いておくと、新橋のことならやはり篠原治のことをもっと書いてほしかった。さっきもあげた「菊村」の女将であるが、一中節では都一広として、河東節では山彦治子として、宮薗(みやぞの)では宮薗千志乃として、荻江節では荻江治の名をもっていた格別の女将なのだ。自伝『菊がさね』は吉井勇が題字を、挿絵を小林古径が、序文を谷崎潤一郎が書いた。
型というものは、いろいろのものと一緒にある。一番わかりやすくいえば「家」と「間」とともにある。「家」は職能の伝統を守る門のことで、ここに家元も出てくれば、入門も破門も出てくる。
古くさいとおもえば、これほど古くさいものはないが、因習こそが型の温習や伝習には欠かせない。「間」についてはこれまであれこれ書いてきたので、いまさらくどいことは言わないが、「教える間」と「教えられない間」があって、これは体で染みさせるしかない。もともとは四つ間があって、そこに裏表がある。その表の間の直前に呼吸をほんの少々入れるのだが、これが「ふ」で、この「ふ」がうまくないとすべての「間」がはずれる。
こういう「家」と「間」が型を生む。そのような型を学んでそこからどう離れたらいいかということは、本書にはちょっとしかふれられていないけれど、江戸千家の川上不白の「守破離」がよくその神髄を伝えた。不白は紀伊新宮の水野藩士川上五郎作の次男で、大徳寺の大龍に入門する一方、茶を如心斎千宗左(7世宗左)に学んで寛延3年(1750)に江戸に下向して江戸千家を興した。如心斎のディレクションで三井八郎右衛門・中村宗哲・堀内宗心とともに「七事式」をつくった。これはなかなかおもしろいもので、「花月・坐・廻り炭・廻り花・茶カブキ・一二三・員茶」をもって心技鍛練のプログラムとした。
不白は『不白筆記』『茶道訓』なども遺していて、その『不白筆記』に「守破離」を説いて、こうある。「守ハマモル、破ハヤブル、離ハはなると申し候。弟子ニ教ルは守と申す所なり。弟子守ヲ習盡し能成候ヘバ自然と自身よりヤブル。これ上手の段なり。さて、守るにても片輪、破るにても片輪、この二つを離れて名人なり。前の二つを合して離れて、しかも二つを守ることなり」。
入門してしばらくの「守」は、教えられた型を徹底して学ばなければならない。まず守る。芸ではこれを身に付けるという。ここでは教えが必要である。「破」はその身に付いた型をつかって、身をはたらかせる。創造性や工夫を発揮するのはこの「破」の段階である。作用をおぼえる。
これらに対して「離」は自由自在に身を演じるところ、それでいて芸の本格を一歩もはずさないことをいう。そこを茶と禅と剣を合せていた不白は「入神の芸境」と言った。とくに「家」を離れて「間」に遊ぶのが「離」なのである。
もともと「守破離」は禅から出てきた。だから能にも入っている。世阿弥の『花鏡』では、種が守、花が破、実が離にあたる。最後の離で「離見(りけん)の見(けん)」になる。世阿弥はそれを「見所同心」とも言った。
これを茶や剣が応用した。ここでは武芸のなかの守破離には言及しないが、小針夕雲から千葉周作まで、大半が守破離を武道の心得にした。ぼくのばあいは「守破離」を、型を守って型に着き、型を破って型へ出て、型を離れて型を生むというふうに見ている。
これには第二段階の「破」において、水墨画法の破墨のように「墨によって墨を破る」という会得をするのがコツで、そこがわからないと、なかなか「離」に進めない。つまり多様性によって多様性を破ること、最小多様性(レキジット・バラエティ)を知ることが「破」の極意なのだ。それを俟って「離」はすべてに自在闊達に世界に向かえることになる。「離」はいわば「離れ」にいて、一挙に世界に駆けつけるものである。ISIS編集学校では、これを「一緒の守、一期(いちご)の破、一生の離」と言っている。