父の先見
ペガーナの神々
創土社 1975
Lord Dunsany
The Gods of Pegana 1905
[訳]荒俣宏
1972年の初夏、暗緑色の函に入った『ダンセイニ幻想小説集』という本が書店の片隅に出現した。
松村みね子の翻訳で知られたダンセーニの『光の門』や『山の神々』が、一部の熱狂的なファンを沸かしたのは昭和初期のことである。以来、ダンセーニは『二壜のソース』などの異色ミステリー作家として、ときに「ミステリ・マガジン」などに紹介されるだけだった。それ以外は誰もダンセーニなどを噂にしなかった。ただ一人、稲垣足穂だけがしきりにダンセーニを口にし、文章のそこかしこに引いていた。
それが突如として『ダンセイニ幻想小説集』なのである。ぼくは躍りあがってこの本を手にし、まず、誰がこんな企画をたてたのか、翻訳者が誰なのか、まっさきに「あとがき」を読んだ。なんと40ページわたる「苦悶と愉悦の幻想軌跡」という濃厚な解説がついている。読んでみて新しい風を感じた。言葉づかいも70年代っぽくなっている。こういうことを書ける男が日本にいることに驚き、その男がこともあろうにダンセーニの解説に稲垣足穂をさえ紹介しようとしていたことに狂喜した。
これがぼくの荒俣宏との最初の出会いであった。
あまりに歓喜がすぎて、ぼくはすぐに荒俣宏を訪ねることになる。日魯漁業の計算機センターだかにいた彼は、室内ではパンチカードと格闘しながら、外ではビラを配っていた。組合運動だったのだろうか。
待ち合わせた三原橋の角の喫茶店にあらわれた彼は、まさにケルト神話に出てきそうな大男であった。そして小さな椅子に窮屈そうに坐るなり、「えっ、ほんとに松岡さんですか、『遊』の松岡さんですよね」と素っ頓狂な声をあげた。ぼくは前年の夏に『遊』を創刊したばかりだったのである。「そうすか、うれしいなあ」と彼は笑いながら不思議そうな顔をしていた。ぼくも笑いながら「すごいね。だから会いにきたんです」と言った。すぐに荒俣宏が『遊』の執筆陣に加わったのはいうまでもなかった。
本書は、そのロード・ダンセーニのモダン・クラシックスの古典『ペガーナの神々』のほうである。『幻想小説集』も読んでもらいたいが、まずは『ペガーナの神々』だ。やはり荒俣宏が翻訳している。
この薄明の神話以前の物語のはじまりは次のようになっている、「まだこの世がはじまらない前の、深い深い霧のなかで"宿命"と"偶然"とが賽をふって勝負をきめたことがあった」。
サイコロをふってどうしたかといえば、そこがこの物語の世界未然性とでもいうべきものなのだが、サイコロで勝った者はマアナ・ユウド・スウシャイのそばに行けることになり、そこでこう呟けるのだ。「さあ、わしのために神々をつくってもらおう」。
これは、有名な神々が生まれる以前の無名の小さな神々たちの物語なのである。だからマアナ・ユウド・スウシャイがどのようなものなのかは、まったくわからない。彼はペガーナで大いなる休息をしているだけで、ときにスカアルの太鼓に耳を傾け、またうたた寝をするだけなのだ。けれどもこのいつ終わるともしれないスカアルの太鼓が鳴りやむと、スカアルは「無」に向かって退場し、やっと主人公とおぼしいマアナ・ユウド・スウシャイの仕事が始まるのであった。
マアナは神々をつくる。「時」のまんなかにつくる。神々はやがて手話で話をはじめ、その手話の印相を止めては、それをひとつずつ太陽やら月やら星やらにしていった。この場面は手話文化に携わる人々がもっと注目してよい場面であろう。
ここから物語はえんえんと続く。えんえんと続くけれど、ケルト神話や北欧神話を下敷きにしているものの、ダンセーニが綴ることはまったく予想がつかない。
たとえばキブは手で言葉をつくらずに口で言葉をつくったために、すべての神から呪われる。また「時」やリンパン・タンは遊びをつくってそこに「死」をまじらせたし、ヨハルネト・ラハイは夢と幻を紡ぎだした。こんなふうに世界をつくりながら話が進むので、ダンセーニは忙しい。結局、物語はペガーナが終末に近いところまで進んでくるのだが、どうやらそこはふたたび「無」だか「薄明」だかに似ていて、物語はくるりと宙返りしてしまうのだ。
本書にはもうひとつ「51話集」が併録されていて、こちらはダンセーニの特技であるコント集になっている。神話っぽいところもたくさんあるが、そうした神話っぽい主人公がそのへんの街頭に出て遊んでいることもある。こんなコントである。
ひとつ。ある夕刻、名声がガス燈の下で悪名に「あなたはだれです!」と声をかけたところ、「わたしは名声よ」と言うなりキャッと言って立ち去った。
ふたつ。ロンドンのピカデリーで変なことをしている連中がいると思って声をかけたら、「ピカデリーを縮めいやるのさ」と言って、根こそぎもっていってしまった。
みっつ。敬虔な地震が、上でなにやら春のように騒いでいるので遠慮していたら、かれらはみんな帰ってしまった。「すると、やつらは神々じゃなかったんだ」。
まさに稲垣足穂が『一千一秒物語』にしたくなったようなテイストばかり。ただし、このころのダンセーニはまだ話のはこびに磨きがかかっていない。いま紹介した三つのコントは、ぼくが勝手にタルホ流にというか、のちのダンセーニふうに、コンデンセーションをした。あしからず。
さて、1878年にアイルランド第三の旧家に生まれたダンセーニは、本名をエドワード・ジョン・モートン・ドラックス・ブランレットという。
エメラルドの島とよばれたターラの丘陵のミース州には、ノルマン人が攻めこむ以前からアイルランドに先住していた一族の居城がいくつかあった。そのひとつがダンセーニ城である。エドワードはロンドン生まれでイートン校と英国陸軍士官学校に学んだが、やはりその後は城主となってケルトの古典文化の芳香を体いっぱいに吸って遊ぶ。死ぬまで第18代男爵だったため、ロード・ダンセーニなのである。
生まれついての素封家で、アイルランド文化に矜持をもっていたから、鷹揚で交友も広い。マーテロ塔でジェイムズ・ジョイスと一緒に暮らしていたオリヴァー・ゴーガティ、ダブリンの美術学校を出たウィリアム・バトラー・イエーツ、アイルランド民話研究でのちにイエーツとアベー座創設にかかわったイザベラ・グレゴリー夫人らは、ダンセーニがとくに親しく遊んだ「アイルランド・ルネッサンス運動」ともいうべき文芸復興の仲間たちである。もっともダンセーニはそんな交流がなくとも、ケルト・ルネッサンスの伝説から出てきたような男だった。
そのケルティックなダンセーニの処女物語集が『ペガーナの神々』になる。だからここには、その後のダンセーニ物語に登場するたいていの神々や変な人格神が顔を出している。
ペガーナはダンセーニがつくりあげた場所の感覚である。
どこにもそんな国はない。伝統神話にも出てこない。
けれどもアイルランド人ならば、そんな場所がどこかにありそうだとすぐにおもえる場所である。ペガーナはそこで登場を待っている物語の人物たちのための幕間のようなところ、出番の前に休んでいるところなのである。
これは荒俣宏君とも20年ほど前に話しあったことなのだが、ペガーナという言葉には「無への回帰」を象徴するスペルとシラブルが含まれていて、それを口でころばすと、アイルランドのミントの味がする。が、それもちょっとのあいだだけで、やがて消えていく。
そうなのだ。ペガーナはダンセーニがつくった「無に近いほど薄い薄い当初の国」なのである。そこには信仰以前の、霊気伝導以前の、いわば「存在の薄明現象」というものがある。
ダンセーニを読むことは、この「存在の薄明現象」に触知することである。薄い国に薄い物語がうつろっていくことを眺めることである。そこに、ひょっとしたらどこからかやってきた遊び好きな神々がいる。それらのアリバイはまことにおぼつかないが、それゆえに、まことにまことに根本偶然に富んだ原初の物語の秘密への参入を促してくれている。