父の先見
Yの悲劇
ハヤカワ文庫 1988
Ellery Queen
The Tragedy of Y 1932
[訳]宇野利泰
ぼくの父はまったくミステリーを読まなかったが、父の親友の時計屋の宮武さんは大のミステリー・ファンで、うっかり中学生のぼくがシャーロック・ホームズやアルセーヌ・ルパンを持ち出したからたまらない、ディクスン・カーがどうの、ヴァン・ダインがどうの、アガサ・クリスティがどうのと始まった。
それでぼくが、はたして宮武さんの影響で何を読み出したかというと、これが記憶にはない。それよりもう一人のカルト的なミステリー・ファンが高校時代に出現して、ぼくはその男の影響でエラリー・クイーンやアガサ・クリスティを読み出したのだ。
影響をもたらした男というのは“シンジさん”とみんなが呼んでいた鈴木慎二さんである。ぼくが九段高校の出版委員会(新聞部)に入ったときの3年生だった。シンジさんはのちに「早稲田大学新聞」をへてJICC出版をおこし、「宝島」や「別冊宝島」を創刊した。名編集長だった。
というわけで、高校時代をスタートにぼくのミステリー探検が始まったわけだったが、最初はまさにドイル、コリンズ、ルルー、ダイン、クリスティ、クイーン、クロフツ、カー、チャンドラーという古典渉猟だった。
エラリー・クイーンは15冊ほど読んだところで、やめた。たしか『チャイナオレンジの秘密』か『ローマ帽子の秘密』あたりだったかとおもう。
そのくらいは読んだのだから、『Yの悲劇』をクイーンの作品の最高傑作とよべるかどうかといった議論の末席を濁す権利はあるだろうが、ぼくにはこの作品のみならず、ミステリー作品を全世界ベスト30のどのへんに位置づけるかどうかとか、本年度ベストワンは何かといった興味が、あまりない。ともかくたのしんで読むばかりなのである。むしろ、何歳のどんな状況のもとでそのミステリーを読んだかということに、ぼくの評価はかかわっている。ただし、世の中のランキングはいつも参考にする。
で、『Yの悲劇』だが、これは、ドルリー・レーンというシェイクスピア劇の老優を探偵役に仕立てたのが気にいって読みだしたところ、かなり怖い思いをしながら夢中になって読んだ。
横浜山手町から学校に通っていたころで、だいたい3日くらい文庫を持ち歩き、最後は横浜の家の布団の中で凍えるように読んだ。その夜のことはいまでも蘇る。たしか江戸川乱歩もかなり怖かったと書いていたようにおもう。のちのスティーブン・キングやディーン・クーンツほどではないが、まったく怖い話というものは、ふだんは何でもない家の中さえ異常に怪奇に見えてくるものである。まあ、それがやめられずに、読むのだが。
さて、当時のぼくの本の読み方はかなり精密だったうえに、その後もミステリーやハードボイルドやエスピオナージュを読むときはけっこうゆっくり読んでいたほうだったので、『Yの悲劇』についてもいまなおちょっとした細部をおぼえている。
というよりも、エラリー・クイーンの有名なフェアプレイ宣言にはまって、すべてのヒントは文中に配布されていることを信じ、ついつい探偵役のつもりになっていたのだろう。それでも、犯人がはやばやとわかるなどということは、めったになかった。だいたい名人級の推理作家たちが、そんなヘボをするはずもない。
『Yの悲劇』もご他聞にもれず、犯人はそうとうに意外な人物になっている。推理小説の読後感のルール上、ここで犯人を予想させることを書くわけにいかないが、実は過去に綴られていた犯行計画の書き手と、その書き手ではない真犯人との関係が、この作品の怖い真骨頂となっている。そのうえ、その関係をときほぐすヒントが老優ドルリー・レーンが解くにあたいする仕掛けになっていて、それに老優が気がつくあたりから犯人との沈黙の一騎打ちの様相を呈してきて、そこに夢中になったのだろうとおもう。