父の先見
オーデン・わが読書
晶文社 1978
Wystan Hugh Auden
Forewords and Afterwords 1973
[訳]中桐雅夫
海外書籍の書名の邦訳には、うまいものもあるが、へたなのもある。よく引かれる例だが、ユゴーの『レ・ミゼラブル』を『ああ無情』と、『モンテ・クリスト伯』を『巌窟王』と訳したり、『風と共に去りぬ』の「ぬ」を使う翻訳などは、最近はめったにお目にかからない。
ぼくもときどきプロの編集者として邦訳書名には悩んだ。最初にとりくんだのがのっけから難題で、アーサー・ケストラーの『ヤーヌス』というものだった。双頭の神の名である。これが工作舎が刊行する初めての翻訳書にあたっていた。この原題にはケストラーの意図がぴったり出ていたが、当時、この書名で工作舎が初めての翻訳書を売る力はなかった。みすず書房なら『ヤーヌス』のまま発売していただろう。そこで『ホロン革命』とした。よく売れた。
売れればいいわけではないが、あまりにも売れなければ、編集者にとっては死命を決する問題がおこる。次のライアル・ワトソンの『ライフ・タイド』は『生命潮流』に、チャールズ・タートの『プサイ』は『サイ科学の全貌』にした。しかし、原題を変えるにあたっては、やはりうしろめたいものもある。
本書は原題がいい。直訳では『前書きと後書き』というもので、唸らせる。
けれども、これをそのまま日本語の書名にしておもしろいかというと、きっと難しい。なぜなら「フォーワード&アフターワード」の語感のよさは、日本語の「前書きと後書き」にない。「序」とか「跋」とか「結」とかの言葉をつかって『序文と跋文』などとする手もあったろうが、これでは漢字が読めない読者も多いだろう。そこで翻訳者の中桐さんも悩んだのだろうとおもうが、この翻訳書名は編集部の案だったらしい。中桐さんも賛成したようだ。
が、これで本書の狙いの半分は見えなくなった。なぜならこの本はオーデンが生前に執筆した序文、跋文、書評をエドワード・メンデルソンが編集したものであるからで、ほんとうはそれぞれの書物1冊ずつの内側でオーデンが綴った文章というニュアンスが濃かったはずなのである。
しかし、そういうことはあるが、この本は読書に関する王道の象徴のようなものだった。
とくにぼくのような逸格型の読書者にはオーデンの読書観は一種の城壁のごとくそそり立っていて、この本の書き方に負けないことがぼくが書評をするときの出発点になったものだった。すなわち、本書はながらく読書人が書物をどのように語るかということの“お手本”だったのである。
採りあげられた“列強”たちは、プラトン、アリストテレス、アウグスティヌス、ルターから、ゲーテ、アンデルセン、ワイルド、マンにおよぶ。これをオーデンが山ひとつをまわりから勢子と一緒にウサギを追うように、ゆったりと登る。
たとえばチャールズ・コクランの『キリスト教と古代ギリシア・ローマ文化』では、アウグストゥスからアウグスティヌスにいたる西欧精神を、デミウルゴスの自発行為か自殺行為であるかを自問するごとく問いながら攻め落とす。ロバート・ガットマンの『リヒアルト・ワグナー』では音楽を文法から詰め将棋をするように王手にもっていく。ゴッホの『書簡集』ではゴッホが破滅のときにもに静けさを保っていることを、静かに解読する。
こういう跋文や書評を読むと、さすがにぐったりくる。とりわけヴァレリーの『アナレクタ』あたりを動かす手順は、認識は君臨するが統治してはならないというヴァレリー以上なのである。ぼくはオーデンではないヴァレリーを探すために、もう一度ヴァレリーを読まなければならなくなった。
だが、正直に言おう。オーデンのような読書正統派がいたからこそ、ぼくのような読書者異端が遊んでいられるのだ、と。オーデンが読書を芸術ととらえていたからこそ、ぼくは読書を編集ととらえられたのだ、と。
してみると、ぼくに本書を読む気にさせた『わが読書』という邦訳標題は、その目的をそれなりにはたしたのだということになる。そうか、ぼくの負けだったのか。