父の先見
月島物語
集英社 1992
斎藤緑雨賞という文学賞がある。五木寛之らが審査員で、鈴鹿に生まれた明治の批評家・斎藤緑雨にちなんでエッセイ・評論型の賞としてもうけられた。その第1回受賞者が四方田犬彦で、受賞作品がこの『月島物語』だった。なかなかスイな随筆である。
実はぼくもこの賞をもらった。第2回で、受賞対象は『ルナティクス』(作品社)だった。文学関係の賞なんて縁がないとおもっていたが、五木さんからもらっておきなさいよと言われて、雨の鈴鹿に赴いた。いま、この賞はなくなった。鈴鹿市長が変わって、ムダな出費をやめるということになったらしい。「雀の涙の賞金がムダな出費だなんて、地方の時代っていうのにとんでもない空語だよね」と五木さんは苦笑していた。
月島は銀座から歩いても近いところにある一角なのに、都心から遠い下町だという印象がある。いまの若い連中にはモンジャ焼の町としてしか知られない。が、そこへ四方田犬彦が引っ越した。しかも長屋の一軒である。
話はその引っ越しから始まる。路地の一隅のその長屋は老夫婦が住んでいたところで、1階が三和土(たたき)と4畳半と2畳半と台所と便所、2階には4畳半が2部屋あるだけで、風呂はない。でも「菊の湯」がほんの2分ほどのところにある。「まるで小津安二郎のフィルムに出てきそうな作り」なのである。
下見で即決した著者は、引っ越しの騒動を淡々と描きながら、しだいに月島の歴史や月島をめぐる人々の情感にふれていく。これが読ませる。
月島は月島・勝鬨・豊海の3町でできている。いずれも埋立地だが、お隣の佃島をふくめて、それぞれ歴史も表情もちがっている。そこを著者が尋ね、その事情をほぐし、そこにまつわる人物を少しずつ浮かび上がらせる。たとえば、きだみのる。自伝的小説『道徳を否む者』が繙かれる。きだみのるから月島の風情に入るのは悪くない。
またたとえば、大泉黒石だ。“夜逃げの天才”とも“国際的な居候”ともいわれた大正昭和に一世を風靡した快男児である。
20年ほど前に緑書房というところから全集も出て、ぼくなども初めてその全貌を知った。自伝『人間開業』や『人生見物』ではロシア皇帝侍従と長崎の16歳の日本女性とのあいだに生まれ、トルストイの農園に父親の広大な所領があったというが、なんだかよくわからない。あやしい。けれどもその黒石の目で見た当時の月島は、本書を読む者をまことに不思議な記憶に誘ってくれる。
著者はついで、月島で幼いころに決定的な体験をした大岡昇平に立ち寄る。大岡の体験は名篇『少年』に語られている。それをかいつまみつつ、さらに月島物語は深まっていく。
大岡が月島に行ったのは、母方の縁者で初枝という妓名をもつ女性が月島に住んでいたからで、少年大岡はその“月島のおばさん”を訪れたときに自分の家系の複雑な血を感じた。四方田犬彦はそのときの見聞こそが『花影』や『武蔵野夫人』の独得の陰影をかたちづくっていたのではないかと、つぶやいている。
このほか島崎藤村、小山内薫、三木露風を散策しつつ、著者は石川淳の『衣裳』にたどりつく。築地の渡し場で冷たい川を眺めながら女給を待っている場面から始まる短編で、物語は適当に虚構をまじえながら成立しているはずなのに、著者はしだいに現実の月島の地理を思い浮かべながら、その男と女の一夜の筋を追う。ところがそのうち、この女が間借りしている部屋というのは、著者がいま住んでいる四軒長屋の一角の2回の部屋と寸分違わないものであることに気がつく。
こうして著者は、その石川淳が交わった女給の面立ちのままに、自分が住んでいる住まいの細部の描写に入っていく。この手順がまた、なかなかなのだ。
このほか本書には、同じく月島に移り住んだことがある中野翠との対談や、「月島、そして深川」という標題の川田順造との対談も添えられ、まさに下町情趣を盛りあげる。
日本の近代文学の書き方はいろいろある。
文学批評のスタイルしかとらないものはもはやつまらないが、それでも磯田光一や前田愛や樋口覚のような綴り方は、ときにわれわれの過去の息吹を蘇らせてくれる。それ以上に、そこへ行ってみたくさせる案内もある。それがたとえば松山巖の『世紀末の一年』や、本書『月島物語』なのである。