父の先見
中国山水画の誕生
青土社 1995
Michael Sullivan
The Birth of Landscape Painting in China 1962
[訳]中野美代子・杉野目康子
この項目を綴りつつある2000年8月現在、ぼくは水墨山水画をめぐる本を書いている。だいたいは書けているのだが、まだ仕上げが放ってある。
仮の標題を『山水的』としているもので、以前、美術雑誌に3年にわたって連載した原稿を全面的に書き改めつつあるものだ。いますでに800枚ほどの原稿になっているが、おそらく1000枚をこえるだろう。
主題は長谷川等伯の『松林図』はどのようにして生まれたのかということにある。それを、病魔に倒れた横山操が死ぬ間際に「ぼくは雪舟から等伯までの歴史をやりなおしたい。そうでなくては死んでも死にきれない」と加山又造に洩らした言葉を端緒にして、延々解いていこうというものである。横山操とは、ぼくがずうっと現代日本画の出発点にしている画家で、やはり日本画家だった叔父の親友だった。
そのなかで中国の山水画がどのように日本化していったかというくだりをのべるために、かなり大胆な中国山水画をめぐる議論を展開しておいた。しかし、そのように水墨画に関する自分なりの議論ができるようになるまでには、ずいぶん時間がかかった。まさに手こずったといっていい。20年近くがかかったろうか。
おもえば、最初は内藤湖南や長尾雨山だった。
ついで、長いあいだにわたって水墨画全集や矢代幸雄や米澤嘉圓の水墨画論がわずかな手がかりだった。しかたなく「滲み」によって水墨画をとらえ、荊浩の『筆法記』を読むことで技法に入り、張彦遠の『歴代名画記』で水墨山水の変遷に親しんだ。
むろん美術館にもいろいろ通ったが、それだけでは見えないことも多い。そこで実際の水墨画の検証は矢代幸雄の愛弟子にあたる衛藤駿さんにいろいろ見せてもらった。当時は大和文華館のキュレイターだった衛藤さんは、やがて慶応大学の美術史の先生となった。講談社の日本美術文化全集『アート・ジャパネスク』全18巻をぼくが編集構成するようになるのは、そのころである。タイトルどおり日本の美術文化の全集ではあったが、ぼくは中国美術史の長老・長廣敏雄さんと毎巻の対談を通して、とことんプロが語る中国美術を学ばせてもらった。
しかし、それらのあいだ、一冊として水墨山水画に関するこれといった本にはめぐりあえないままだったのである。よほど議論しにくい領域であるらしい。ようするに一人のパノフスキー、一人のバルトルシャイティスがいないのだ。
ここに紹介する一冊も、実は満足できる一冊ではないのだが、やはりマイケル・サリヴァンを土台にして、次の一歩は自分でしるさなければならないのだという覚悟を決めたという記念の意味で、ここに紹介しておく。
サリヴァンはのちに『中国美術史』で一世を風靡した美術史学者である。ハーバード大学で中国美術史を専攻したが、その前にケンブリッジ大学では建築学を、ロンドン大学で中国語を収めているエリート中のエリートだ。本書はそのサリヴァンが学位論文で書いたものが下敷きになっている。
ところが、ぼくはこの手のエリートが嫌いで、仮にそのエリート教授が書いた本があっても、これをわざわざあとまわしにする悪いクセがある。サリヴァンの『中国美術史』もそういうクセで放っておいたまま、かわりに、上にあげたような面倒なものばかりを漁っていた。そのほうがエリート思考のクセがつかないからである。
このようなことはケネス・クラークにもあてはまる。クラークの『風景画論』は本書と並ぶ美術史のバイブルのひとつであるが、ぼくはこれを嫌ってずうっと読まないでいた。そのかわりにジョン・ラスキンやシャルル・ボードレールの批評を読んでいた。また、下村寅太郎さんとレオナルド・ダ・ヴィンチ談義をかわしたり、ウィリー・サイファーのルネサンス論を読んでいた。
同様に日本人の西洋美術論ものも土方定一や植村鷹千代をできるだけ避けた。高階秀爾でさえ敬遠していた。
こんなわけでサリヴァンを読むのが遅れたのだが、やはり『中国美術史』は退屈だった。そのため本書に対してもほとんど期待がなく、敬愛する中野美代子さんが訳したというので、読んでみたというのが実情だった。
案の定、まことに申し訳ないのだが、中野さんの『龍の住むランドスケープ』のほうがよほどおもしろい。山水画の歴史も行ったり来たりではっきりしない。
しかし、本書には中国人や日本人の水墨山水画に対する見方とは異なった、欧米美術史家の執拗な論点があらわれていて、そこには大いに学ばせられる。第1に、どんなモチーフがどのモチーフよりも先行しているかということを徹底して調べるという態度である。第2に、現在の時点で付与できるイメージ解釈をふんだんに盛りこもうとしている点である。第3に、従来の美術史用語(唐以来の中国側の審美的用語)にこだわらないで、次々と必要な用語を導入しようとしていることである。
これらは、それこそパノフスキー、クラークと連打してきたヨーロッパのイコノロジーや美術史学の成果と、カント、シェリング以来の伝統をもつドイツ美学に始まるヨーロッパ美学の成果が、初めて中国美術の上に開花したせいで、そのことを見るだけでも、本書を美術史の学生が読む価値はあったのかもしれない。
ところで、美術史学というものは、なぜいつまでもつまらないものなのだろうか。なぜバルトルシャイテスやマリオ・プラーツのような興奮がないのだろうか。
あるいはまた、ラスキンの『ヴェニスの石』や渡辺素舟の『東洋文様史』やギーディオンの『美術の起源』などのたった一人による独創や、またランスロット・ホグベンの『ヴィジュアル・コミュニケーションの歴史』やコンラッド・ウォディントンの『美術の彼方へ』や保田與重郎の『日本の美術史』などの、わくわくするような偏見がうまれないのだろうか。
おそらくひとつには、美術というものに対する事物的観念が足りないのであろうとおもう。美術というのはイコンでもあるが、同時に物神なのである。その物神につかみかかっていく態度が足りないように見える。それも調べてつかみかかるのではなく、自分の観念で食べていかなくてはいけない。これはラスキンのターナー論を読めばわかる。
もうひとつは、学芸員的な美術史を解放するために、人々の美術に対する感想や感覚や見解をもっと聞いたほうがいい。クリストの梱包美術などは、それを見ている民衆の感覚の中に分け入る以外はないはずなのだ。同じことをたとえば水墨山水にもあてはめる。それには「視線の古典性」と「視線の現在性」の両方に介入する必要がある。
さらに付け加えると、美術史にはオムニシエントで、かつオムニプレゼントな目があったほうがいい。これはメルロ=ポンティを読むとわかるのではないかとおもう。